さとりの中で生きる

なにがあっても大丈夫?

「大丈夫」って仏教用語で

「菩薩」

を指すことを知ってました?

 

「大丈夫」は無条件のOK

「何があってもまあいいか」って状態

 

最近

ああほんと、何があっても大丈夫だ

と感じることが多い

 

そうはいっても

外側のできごとにも

すぐ反応するし

がっかりするし、イラっともする

不安にもなるし

怖いこともある

 

だけど

そういう感情がやってきても

おだやかな状態にもどる時間が

とにかく大幅に短縮されたこと

これはすごく大きい

 

だから

一日のうち

ほとんどの時間、穏やかでいられる

 

イヤな感情を味わっても

自分がもどるべき場所をわかってるから

イヤな感情を避けようとする努力が無用になった

 

今までは

イヤな想いをすると

ずっとその体験に引っ張られて

何度も何度もフラッシュバックしてた

 

だから

イヤな目に遭わないように

イヤな感情を避けるために

ものすごくエネルギーを使ってきた

 

人間関係を良好にしておくために

仕事で失敗しないように

安心できる状態を確保するために

あらゆる努力をして、、

 

でも今は

安心するための努力の

ばかばかしさに氣づいてる

 

もうどうなってもいいから

したくない努力はしない

今ここの自分のくつろぎを選ぶことを

最優先にしている

 

人から良く思われること

高く評価されること

 

それは

わたしにとって幼いころからの

最優先事項で

それを得られないことは

自分の存在が消え入りそうになるほど

怖いことだったのだけど

 

今は

 

どう思われても

だれにも評価されなくても

いい人とも思われなくても

できる人に見られなくても

お金がなくても

バカにされても

 

まあ、いいか

 

今まで自分が

ものすごく怖れていた状況になっても

「まあいいか」

すごくイヤな感情を味わったとしても

「まあいいか」

と受け容れている自分に氣づく

 

自分の中心がわかると

無条件で安心できるようになるんです

 

たとえ

不安になったり怯えたりしても

還る場所がわかっているから

 

一時的にブレたり外れたりすることを

怖れる必要がなくなる

 

そして

中心にもどれば

母なるタオに包まれているのを

しっかりと感じることができる

 

ことさらに良くしようとしなくても

タオとともに流れていれば

最善へと運ばれていくという

深い理解とともにあるからね

 

だから

ヤダなあと感じるできごとがあっても

最善の道の途上にある障害物くらいに思うし

後になってみると

笑えるネタ話にもなる

 

良くても悪くても

まあいいじゃないか

大丈夫

 

だから今

わたしは氣楽で

至福なんだ

 

そして

こんな心持ちになれたことを

心の底から感謝している

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら