女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第47章-どこへも行かなくてもいい

老子道徳経

-第47章-

 

戸を出でずして天下を知り

牖(まど)より闚(うかが)わずして天道を見る

其の出ずること弥(いよいよ)遠ければ

其の知ること弥(いよいよ)少なし

 

是を以て聖人は

行かずして知り

見ずして名(あきら)かにし

為さずして成す

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

 

家から一歩も出ないで

世の中のことを知り

窓から外をうかがうことなく

天のありかたを観る

何かを求めて遠くまで出かけていくほどに

知ることは少なくなる

 

だから

タオのありかたにしたがう人は

どこにも行かなくても

直接見なくても

明晰にものごとを見定めて

ことさらに何かを為さなくても

すべてを成し遂げている

 

神遊りら 訳

 

 

わたしには、変わった友人がいる

その人は、ほとんど家から出ない

人ともほとんど会わない

本も読まない

 

わたしは、この半生

いろいろな場所に生き

いろいろな人と交わり

多くの本を読み

その情報と体験の中から

この世の法則的なものを見出してきたつもりだった

 

外の情報を得ることが

真理への道だと思ってたけどね

 

この友人と話していると

それがあんまり必要じゃないことに氣づく

 

彼女は

「ひとりでいる」ことによって

内的な世界を深く深く旅している

 

彼女にとっては

道端に転がっている石や木切れが

感動の源なのだ

 

りらさんはすごいねえ

たくさんのこと知ってるね

いろんな体験をしてるね

と彼女は言うけど

わたしからしたら

すごいのは彼女だ

 

わたしは

遠くへ出かけていくほどに

多くを知るほどに

自分は賢く、成長していくと思っていた

でも

それは逆だった

 

わたしは

欲望、というものを彼女の中に見出すことがない

彼女は

「ただ在る」ことの毎日に現れる

とても小さな現象のひとつひとつを味わい

それに満足し、感謝している

 

彼女は経済的にも

人間関係的にも

そんなに恵まれてはいない

だけど

それを何とかしようとして

外の世界に踏み出すことはしない

でも

今の環境に完全に満足している

 

彼女は

自分のあり方を知っている

外の世界に出て

自分をすり減らすことよりも

今ここを楽しみ

自分自身でいることを楽しんでいる

 

彼女は

見たことのないものをビジョンとして見て

したことのない体験を全身で感じることができる

彼女の中では

時間軸は存在しない

すべてが、今ここにある

 

外側のことは

すべて、内側の投影だ

だとしたら

内なる旅以上のゆたかな旅があるだろうか

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら