老子道徳経
-第46章-
タオのあり方に沿う世の中では
馬は畑を耕すのに使われるけど
タオのあり方から離れると
馬は戦争に駆り出される
過ぎた欲望ほど大きな罪はない
満足することを知らないこと以上に
大きな禍いをもたらすものはない
何かを得ようと欲することほど
いたましい罪はない
だから
足るを知るという満足は
ほんとうに充ち足りた
まことの充足

いつの時代も
欲望を持ちすぎた人たちによって
悲劇が繰り返されてきた
今、もし
世界の何割かでも
充分に満ち足りていると
心の底から感じているのなら
大きな争いは起こらないだろうね
幸せになろうとして
わたしたちは不安や不満をなくそうとする
不満を、不安を埋めるため
どんどん何かを付け加えようとしてる
何かを付け足せば
何かを得れば
自分はきっと
今より幸せになれるって
信じてる
でも
付け加えようとする人生
何かを得ようとしつづける人生は
いつまでたっても渇望の人生だ
渇きに飢えつづけることになる
「しあわせになろう」とすること自体が
今しあわせじゃないって
表明していることになる
欲望を抱くほどに
それに囚われるほどに
ほんとうのゆたかさは
手からこぼれおちていく
もっともっと、と求めるありかたが
わたしたちをどんどん貧しくしている
足るを知る、っていうのは
まあ、こんなもんだろう
自分にはこの程度が相応だとか
自分を卑下したり
ムリに納得させるんじゃなくって
ああ
わたしは
こんなに多くのものを持っていたのだなあ
恵まれていたのだなあ
と
氣づくことで湧きあがる感覚だ
もちろん
それができないほどに
苦難の中にある人もいるよね
でも
日本に住む人たちのほとんどは
それができるはず
それに
どんな苦境にあったとしても
それでも
やっぱり
充たされているはずなんだよ
氣に食わないものを挙げればキリがない
不安を保障で固めようとしてもキリがない
ないものを探せばキリがない
この世は選択
どこに焦点を当てるかだけ
それが世界をつくる
充足に焦点を当てるの?
不足に焦点を当てるの?
焦点を当てたものが
未来を形づくっていく
なら
今ここから、充足しようよ
「わたしたちは充分に満たされている」
この言葉は體の深い部分に
とても心地よく響くよ
かみゆりら
天下に道あれば
走馬を却(しりぞ)けて以て糞(ふん)し
天下に道無ければ
戒馬(じゅうば)郊(こう)に生ず
罪は欲すべきより大なるは莫(な)く
禍いは足るを知らざるより大なる莫く
咎(とが)は得るを欲するより惨(いたま)しきは莫し
故に足るを知るの足るは、常に足る
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)