さとりの中で生きる

至福を感じるただひとつの方法

この世の中は、ほんとうに多くのものであふれてる

だから、選択肢もめちゃくちゃ多くて

何をするにも迷っちゃいますね。

 

何がよりよい選択なのか

何が最善の選択なのか

その答えを求めて

わたしたちは、思考し、試行する。。

 

でも、ベストな選択なんてあるんだろうか?

 

アタマで考えられることは

過去の経験則によって蓄積されたものだから

新しさはまったくないのです。

 

アタマで考えて最高のものを引き出そうとしても

それは、「過去に失敗しなかったやり方」

って程度の

消極的な選択肢を引っ張り出すにすぎない。

 

 

じゃあ、みずみずしい

あたらしい、生命力に満ちた選択をするには

どうしたらいいのでしょう?

 

アタマで考える以外に、あるの?

 

あります。

 

私たちは、考えているとき

自分で考えていると思ってるけど

それはほとんど機械仕掛け。

堂々巡りの、古びた選択肢のあつまり。

 

わたしたちは

ほんとうの意味で考えてなんていない。

 

ふだんめぐっている思考は、ほとんどゴミのようなもの。

だから、ゴミに埋もれて、死にそうになってる。

思考の雑音にかき消されて

ほんとうに聴かなきゃいけない声がきけないんです。

 

だからね

わたしたちがやらなきゃいけないのは

思考をしずかにさせること

 

でも、思考はおさまらない。

自分こそが主人だと思っているから

私たちを奴隷にして、主人ヅラをつづける。

 

でもね

それは、わたしたちが今まで

思考をのさばらせてきたからなんです。

「思考=自分」だと信じて

「思考=地位の高いもの」だと信じて疑わず

やりたい放題にさせてきたから。

 

思考は、使うもの

道具であり、従者なのに

わたしたちは、思考にずっと使われてきた…

思考をあがめ、

思考にエネルギーを与え続けてきたんです。

 

わたしたちが何によって一番消耗するか

知ってますか?

 

「思考すること」によってです

思考による消耗に比べたら

肉体の消耗は軽いもの

 

過去の後悔、未来の不安

そうした思考によって、わたしたちは

とんでもないエネルギーを消費してる

すり減らしてる

 

過去と未来

それは思考の産物だ

過去は終わっている

未来はまだない

 

それは、リアルじゃない

存在していない

 

唯一のリアル

それは、「いま」

 

だけど

わたしたちはほとんど

「いま」にいない

「いま」にいれない

 

過去と未来の幻想の世界を

「無意識的」に旅している

ほとんど、永遠に

 

無意識状態にあるとき

わたしたちは

「いま」にいることはできない

 

「意識」を保っているときにだけ

「いま」にあることができる

 

だから、わたしたちは意識を失って

ほとんど眠っているようなもの

目を覚ましながら

まぼろしの世界に生きているようなものだ

 

わたしたちはほとんど

思考に乗っ取られている

ほとんどが催眠状態

慢性的なエネルギー不足

 

根無し草のように

過去と未来に行きっぱなしになってる

 

誰もが

「好きなことをしなさい」という

好きなことをしているときは

自分の意識が、焦点が、「いま」に定まるから

 

だから

好きなことをしているとき

わたしたちは至福を感じる

なぜなら、思考にエネルギーをとられず

「本来の自分自身」であることができるから

 

だけど

好きなことを四六時中やれるわけじゃない

「好きなこと」と、氣がすすまない「雑事」

一般的には

後者の方が、圧倒的に多いはず

 

イヤなことをしているとき

意識の焦点はぼやけてくる

「いまここ」から逃げようとする

無意識的になり、思考の雑音が大きくなってくる

思考に乗っ取られる

そうして、エネルギーをどんどん失い

元氣がなくなっちゃう

 

それが、わたしたちの日常

 

でもね

もう、それもやめにしませんか?

 

後悔、罪悪感、不安、恐怖、、

そうした自動思考を野放しにした結果

何が起きている?

それは、自分を害するだけじゃないでしょうか?

 

わたしたちのネガティブな思考は

産業廃棄物よりも汚れているかもしれない。

それが結果的に

この世界を汚していることは間違いない。

 

公害や戦争に抗議するよりも

ほんとうは

自分の内なる葛藤に向き合うことのほうが

優先順位は高いんです。

 

過去と未来に

意識が飛んでいるのをみつけたら

すぐに

「いまここ」に戻ってみよう

そして感じてみよう

 

呼吸をしている自分

膨らみ、へこむ肚

鼻腔を通る空氣

手に足に触れるモノの感触

指の動き

血の流れ

 

カラダは

「いまここに在る」ためのアンカリングだから

 

どんなときも

身体を感じていよう

 

考えないで、感じてね

 

感じているとき

わたしたちは、「いまここ」にあるから

 

それだけが

至福の門になるんです。

 

かみゆりら