🌿〜在るがまま〜のスペースからお望みの人生を創造する🌿
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成熟とは、子供のとき遊戯の際に示した
あの真剣味をふたたび見出したことである。
フリードリヒ・ニーチェ
この言葉は、胸にきました。
私たちは、年を重ね、社会的な役割を与えられるうちに
その押し付けられたペルソナのとおりに生きなくてはならない、と無言の圧力を受けます。
私もあるときから、「ひとりの人間として」よりも
妻として
嫁として
母として
じゅうぶんに役割を果たすことだけに生きる期間を過ごしました。
そこに、喜びがなかったかといえば、そうではありません。
たくさんの愛を受け取り、与えてきました。
ただ、そのとき感じていた『愛』は
なんというか
『愛着』というような、重たい何かを伴っていた氣がします。
それは、私がほとんどの瞬間を「義務感」から生きていたからだと思います。
私たちは、あらゆる紆余曲折を経ても
最後には必ず自分の役割を演じ切るように設定してきている
と私は考えています。
私たちは、人生の道すがら
さまざまなペルソナをつけながら
さまざまな役割を演じることで
本当の自分を見出していきます。
「本当の自分」を見つけるために
「本当でない自分」を体験します。
自分にとってのウソを体験して
ようやく私たちは、自分自身の真実を知る。
生まれたままの純粋無垢の赤児は
ただ、たましいの喜びのままに遊びます。
時間も、成果も、まったく関係なく
ただ、没頭して、真剣に遊ぶ。
ニーチェの言葉のように
ふたたび、こどものあそびのように
ただ人生を真剣にあそぶ
そんなふうに生きられる人が
成熟、円熟した人であり
本当の成人なのだと私は思います。
そして
成熟した人でなければ、他人も自分自身も
本当の意味で幸せにはできない。
そうすると
ほとんどの人は、「成熟しないまま」この世を去ることになります。
はやく、熟した本当のおとなになりたいですね。
それには、真剣に人生をあそぶこと
それしかないのかな、と思います🌿
最後までお読みくださりありがとうございました。
神遊りら