女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経第18章- 終には、タオに還るしかないよ

老子道徳経

第18章

 

大元ー母なるタオとのつながりが弱まると

仁義、愛、正義をふりかざすようになる

知識や情報を重用しすぎると

ニセモノやだましあいが横行する

親がどうしようもないから、孝行息子が育つ

君主がどうしようもなくて、国が乱れると

忠義者の臣下があらわれる

かみゆりら 訳

 

タオの世界はおだやかだ

微細な波の世界

だから、何も起こっていないように見える

人びとは、そういう世界をおもしろがらない

退屈だ、という

 

興奮を求めて、人はドラマをつくりだす

 

タオとのつながりを切って

自分を苦しい状況に置いて

仁愛とか義理とか人情によって

自らを癒し

そういうものが一番尊いという

たしかに、それはステキだ

熱っぽくて、生きてるという感じがする

 

社会は、アタマの良い人が好きだ

と言っても

彼らはほんとうの意味で賢いわけじゃない

たくさんのこと、専門的なことを知っていて

人に説いたり教えたりする

情報のコレクターだ

それならまだいいけど

知識と情報の操作によって

人をだます

そして、それによって

自分もだます

 

親がどうしようもないと

子どもはちゃんとする

親孝行な子どもを褒めたたえる風潮は

また、ダメ親を生むサイクルをつくる

 

政治が乱れると

それを治めようとする偉人が出る

 

すべては

一なるもの、タオからはなれて

二元性のどたばたドラマに耽溺する

逆説のいたちごっこだ

 

仁愛や孝行はとても美しくみえる

戦争の最中の美談は、人の心を打つ

混乱を治めてくれるものは美しく尊くみえる

 

でも、それが美しくみえるのは

タオという真実からはなれ

混乱が生まれたからだ

そういうものよりも

もっと根源的なものに

わたしたちは目をむけるときじゃないかな

 

申し分なく落ち着いている平らな土地を

わざわざ荒らして

そこに栄養や手を加えて

ふたたび平らに落ち着かせようとしてる

 

わたしたちは、英雄を褒めたたえる

でも、なぜ英雄が現れるのかといえば

世の中が乱れているからだ

平穏無事な世の中に英雄はいらない

 

わたしたちは

「ことさらに良い」ものに感動しがちだ

でも、それは

「ことさらに悪い」ものの結果として現れる

 

悪いものをただす善や正義を強調するよりも

もっと目を向けるべきところがあるはずだ

 

大元

ータオという、ひとつであるものへと還ること

 

タオから分離した乱れた地を

対症療法的に地ならしをすることによって

タオに還ることはできない

対症療法は、二義的なものだ

 

その乱れは

「わたしたちがタオから分離している」という

錯覚から起こっている

そのことに

わたしたちは氣づかなくちゃいけない

 

でも、それは

そんなにむずかしいことじゃない

二元性のドラマに飽きたら

いつだって

「タオとともにあること」を選べるのだから

 

かみゆりら

 

大道(たいどう)廃れて仁義あり

智慧(ちえ)出でて、大偽(たいぎ)あり

六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)あり

国家昏乱(こんらん)して、貞臣(ていしん)あり

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)