老荘思想
ータオにたどり着いたのは
騒がしさにほとほと疲れたせいだろう
そう
わたしはいつも
さわがしい場所にいた
その、さわがしい場所からいつも逃れたいと思ってた
目を覆い、耳を塞ぎながらも
好んでこの場所を選んでいたのは
他でもない、わたし自身だった
なぜなら
わたし自身がとても騒がしかったからだ
わたしの心の騒がしさが
このさわがしい世界を、現実をつくっていたからだ
止むことのないアタマの中の声
常に、葛藤に引き裂かれた思考
わたしのアタマの中では
ゴミのような思考が絶え間なく繰り返される
壊れた再生機のようだった
その、うるさい思考が
わたしのさわがしい現実を生んでいた
今、タオのことを
ちょっとわかったふうに語ってはいるけど
わたしはまだ
全然タオを生きてはいない
わたしは、ほとほと俗物だと思う
俗物な自分を嫌って
聖者になろうとしていた時期もあった
でも
そうすればするほど
自然からかけ離れていく
ほんとうの自分から
自然さから遠ざかり
それが極に至ったとき
もう、今までの努力のすべて
ありかたのすべてを
棄てなくてはならないときがくる
そして
そこに残ったのはなにもない自分
纏っていたすべてを放棄した自分
俗物の、なんてことない自分
そして今はね
俗物ながらに
残りの人生は、できるだけ多く深く
タオのおかあさんを感じて生きていたいと思ってる
依然としてわたしはさわがしい
でもね
以前はまったく感じることができなかった感覚があるんだよ
ふんわりとこまやかな
やわらかさ、やさしさ、静けさが
わたしの細胞の奥まで満ちていく
そんな感覚が
今、このやわらかさに浸るようになって
どれだけ自分がウソとムリの中で生きてきたか
思い知らされる
偽りの自分に駆り立てられ
悦びからではなく、不安から行為して
何者かにならなくてはと焦ってた自分
自分自身を麻痺させながら
激しい刺激を追い求めていた
そうでもしなきゃ、生きてはいられない
ほんとうの自分から
ずいぶんとかけ離れたところにいるのだから
でもね
あんまりにもかけ離れると
もうこれ以上はムリ、って
いのちが死んでしまうよ、って
ほんとうの自分がストップをかける
そして
麻痺、幻想は
とけざるをえなくなる
偽りの衣がはがれたとき
どれだけ自分をないがしろにしてきたか
どれだけ自分をいじめてきたか
その疲れ果てた心とカラダに向き合って
愕然とする
今までのおのれの愚かさを責めるかもしれない
それでもまだ、偽りの自分にしがみつくかもしれない
阿呆のように、たちつくすだけかもしれない
だけどね
どんなふうになっても
これは、ホントにありがたい瞬間
そうして、わたしたちは
ほんとうの自分を生きるようになる
誰も認めてくれなくても
無一文でも
どんなにみすぼらしく見えても
皇帝のように生きることができる
どんな自分でも、抱きいれる
素のままの、みっともない自分を
するとね
タオのおかあさんは、いつもこんなふうに
わたしを見ていてくれたと感じるんだ
わたしがどんなふうでも
タオかあさんは、いつもいつも
わたしを抱いていたんだと
そして
そのことに氣づけただけでも
この人生は大成功だったって
もう、ホントに
歓喜や感謝がわいてくるんだよ
まあ、いろんな都合悪いことが起こると
そのときは、とらわれちゃうけどね
でも
一度ほんとうの自分のスペースをみつけたら
そのイヤな感情は長続きしなくなる
それは
雲のようなもの
ほんとうの自分じゃない
雲は去っていく
わたしたちは
無数の雲を観ているおおきな空
何が起ころうと
影響を受けることはない
無限の広さと静けさのスペースなんだ
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら