TAO- 無為自然の錬金術

努力を手放したとき、それは起こる

たいていの人は変化を何よりも怖れる

変化するくらいなら

惨めでもこの状況を維持したほうがマシだと

変化への恐怖を抱き

現状に甘んずる

 

変化は、氣づかないうちにいくらでも起こってる

この世で変化しないものなんてない

 

けれど、変容は、変化とは違う

それは

卑金属が金に変わるような

アルケミーの瞬間

全くの別物に生まれ変わるということだ

 

変容は、突然おこるように見えて

背後に長い熟成の期間が隠されてる

 

それはあるとき突然起こったようで

ずっと準備をすすめていた

そのときを待っていた

 

変えようとしているときは変わらない

そして

変えようとするのをやめたときに

目に映る景色は一変する

 

探し物をやめたとき

みつかることはよくある話だ

昔、子どもを持つことをあきらめて

もらい児をすると、子どもができるのも

よくある話だったらしい

 

あるところまで

ひとは懸命に努力する

努力しているうちは変わらない

そして

努力を手放したときに

変容はやってくる

 

でも

その変えようとしている時間と努力が

全くムダだったかというとそうじゃない

 

不毛に見える失われた年月も

実は変容へと向かうための準備期間だった

その年月の積み重ねがマックスになり

手放しが起こる

 

その時間がなければ

その努力がなければ

今の景色はありえない

ただ、その努力の時空間の中に居続けたら

変容は起こらない

その次元でいくら努力を重ねても

状況は、同じままだ

 

重要だと信じて握りしめてきたもの

身を捧げてきたもの

それをあえて手放したとき

大きなスペースができる

 

それは、別次元へのリープかもしれない

 

大切なものだから

必死にエネルギーを注いだものだから

手放すことなんてできないよ!

大事なんだから…!

 

でも、

もうそれが今の自分にはフィットしていないとき

いろんなお知らせがくる

それは、何らかのトラブルだったり病氣だったり

そうして

わたしたちは手放しを余儀なくされる

 

失いたくないと握りしめているものを

あえて手放したとき

そこに大きなスペースができる

どうでもいいものを手放したところで

大したスペースはできないけどね

 

そしてそのスペース

大きな空虚

虚無に

タオエナジーは注ぎ込まれる

 

タオは、そのときを待っていた

流れ込むそのときを

 

いつもそばにいて

わたしたちが受け容れるのを待ってた

 

手放しがたいものを手放したときほど

エネルギーは注ぎ込まれる

 

わたしは

あるときから

怖れのエネルギーを手放し続けると選択するようになった

それは、そうしようとしているのではなく

もう、それしか選択がなかったからだ

 

さんざん、手放したくなくてもがいた

でも、手放しは起こる

手放すには、生皮を剥がれるような

とてつもない恐怖と苦痛が伴うと思っていた

たしかに、恐怖はあった

苦痛もあった

 

でも、その恐怖にただ身を置いていると

次の瞬間

とてつもない解放感と安堵感に包まれている

そんな体験を

わたしは何度かしている

 

それは固まっていたものが

ほどけて広がっていく感覚だ

化学的にいえば

氷が水になり、氣体になっていくようなものかもしれない

 

そして、おどろく

何に驚くかといえば

自分自身が別人になっていることに、だ

 

それは、外側からはわからないだろうね

でも

自分だけは知ってる

ちょっと前までの自分とは別人だってことを

 

ほんとうの自分というのが

こんなに力強くて心地よいものだということを

 

今もし

「ちがうなあ」と感じながらも

捨てられないもの、知識、習慣、人間関係

信念があるとしたなら

いちど、それを脇に置いて眺めてみてはどうかな?

 

それがなくたって

やっていける自分自身に氣づくはずだよ

 

もはやそれは

自分にとって古くなっているかもしれない

やり尽くして手放すことは

無限のエナジーを呼び込むよ

 

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら