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人生があそびに変わるとき

ただひとつ

願いがあるとすれば

『わたしは、つねにあそびの中に生きたい』

ということです

 

はあ?と

人はアタマがおかしいおばさんだと思うかもしれないけど

現に

ふたりの息子たちからも

イカれてるといわれますし

 

でもね

わたしは

今、大まじめにあそび始めたところなのです

今までの

あそびのない人生を取り戻すかのごとくに

 

あそび、とは何だろう?

 

ロジェ・カイヨワは

著書『遊びと人間』の中で

「立派な遊戯者とは

不測の事態を好んで求めたとは言わずとも

進んで受け容れてきたのだから

不運に文句を言ったり

不幸を嘆いたりする権利は自分にない、と

わかっている人」

と述べているらしい

わたしはまだ読んでいないけれど

友人から教えてもらった記述をメモに残した

 

人生が遊びになるには

この『受け容れる力』が基盤になる

わたしは実感している

 

生で起こることに一喜一憂し

それに耽溺して、感情に翻弄されれば

遊ぶことはなかなかにむずかしい

というか、ムリだ

 

とはいえ

わたしは今でもすごく一喜一憂する

というか

一喜一憂しているように見える

でも

そのさざ波はすぐに収まりをみせ

静けさを取り戻すことが

そんなにむずかしくなくなった

 

その一喜一憂も

この世を生きる醍醐味で

「あそび」だと捉えることができれば

そうして

すべての感情の味わいを「受け容れる」ことができれば

わたしたちはオープンになり

新しい体験を怖れることなく

喜んで招き入れることができるようになるのではないでしょうか?

 

わたしは小さい頃から

この世界のすべてが怖くて

極度の引っ込み思案で

それでいて常に新しい体験を求め続けている

ちょっと変わった子どもでした

 

今、大分世間でも知られるようになった

超繊細な人ーHSP

という心理的カテゴリーをご存知ですか?

 

ーHSP(Highly Sensitive Person)の

ーHSS(High Sensation Seeking)型というやつらしいです

ー超敏感で、引っ込み事案なのに

新しいもの好きで、刺激を好む

 

らしい、というのは

これは病氣ではないので

診断され、確定されるものではないからです

アンサーシートで回答すると、相当な高得点でした

 

それがいいとか悪いとかは別にして

五感が鋭く、人と接することが苦手で

環境に敏感に反応しすぎるため

とにかく生きづらさを感じていました

 

大人になってからは

自分はどこかおかしい、と

そのおかしさを外に出してはいけない、と

懸命に社会に合わせてきたので

周囲は社交的でおもしろい人というふうに

わたしを見ていたようですが

結局、いつも浮いていた氣がします

 

あらゆることに拒否反応を感じているのに

いつも平氣なフリをして

強い自分を演じた結果

精神はズタボロになっていきました

表面では笑いながら

いつもここから消えたいと思い続けて

 

ただ

いつのときも、どんなときも

どんなに悲観的でどん底にあっても

自分の中に

どこかとてつもない楽観性が残っていることも

確かに感じていて

それに不思議さも感じていました

 

どんなときも

いつのときも

わたしたちはこの楽観性

ーあそびの感覚とつながれると思うのです

 

そして

それは「今を受け容れる」ことがベースになる

 

カイヨワがいう、「立派な遊戯者」というのは

結局、この生がどんなものであろうと

それは自分で選んだものであると認め

ただ、受け容れる人だと思います

 

子どもは無心であそびます

結果を氣にしたりせず

ただ今ここに没頭して

今ここにあるものを

最大限に活用して

 

だから、わたしたちも

特別なあそびの瞬間をつくる必要はないと

思うのです

 

なぜなら

受け容れるという姿勢を

自ら選択するとき

わたしたちは本来の自分であることができ

目に映る

耳に聴こえる

舌で味わう

肌に触る

香るすべてのもので

遊ぶことができるからです

 

何氣ない毎日のなかに

無限のあそびのエッセンスが凝縮されている

 

この世はあそびにあふれている

あそびは、よろこびそのもの

何も求めず、ただそこにあり

受け容れるときに

あそびは起こっている

 

そんな毎日のありがたさに

胸がジンとあつくなるのを感じています

 

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら