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幸せになろうとするのはヤメにしよ

幸せな生を生きたい

人がそう思うのは自然なこと

 

だから

人は幸せになる方法をさがす

 

今の世は

幸せになるためには

何か努力が必要なのだと

このままじゃいけないって

わたしたちに思わせる

 

『幸せを追い求めなさい』という

脅迫であふれてる

 

グルメ、旅行、娯楽、ファッション、美容、、

ちまたにあふれかえる

『良さそうなもの』は

私たちをより幸せに導くように見せながら

それを手に入れなければ幸せになれない

という焦燥感をあおり

欲望をかき立てる

 

今ここにはない

なにか別の姿を夢見て実現することが

「幸せ」だと思ってないですか?

 

「幸せ」も「不幸」も

絶対的なものじゃない

幸せは不幸をはらんでいるし

逆もしかり

 

あらゆる出来事は

解釈によって

幸せにも不幸せにもなる

 

解釈できるもの

名づけられるものは

すべて表層的なもので

 

人によって

ときどきによって

いつでも逆になりうる

 

幸せは求めるものじゃない

誰も何もどんなできごとも

わたしたちを

ほんとうの意味で幸せにすることなんてできないのだから

 

だったら

「逆のない領域」に根付いてみたらどうだろう

 

幸せ⇔不幸せ

 

両極を超え

同時に包含する一なる領域

 

「至福」という領域に

 

「至福」には

理由はいらない

「至福」は

何も必要としない

 

 

「至福」

 

それはただ

「自分自身である」ことから

湧きあがってくる感覚

 

幸せとか不幸とか

それほど興味がなくて

本来あるべきすがた以外の

何ものにもなろうとしない

 

樹木が自然と芽吹くように

花が自然と咲くように

果実が自然と実るように

 

ただ

自分に内包される種が

大いなる道-タオ-のエネルギーによって

自ずと成長していくのを

楽しむ

遊ぶ

 

ひとは幸せになるために

危険を避けようとするけど

 

わたしたちは

もっとも危険なことが何かを

ほとんどわすれてる

 

「ほんとうの自分を生きない」

という

この上ない危険を

 

この世で起こることには

何の意味もないのだけどね

 

でも

この世にわたしたちが存在する理由があるとすれば

ただほんとうの自分を見出し

それを生きることだけ

 

幸せだけを求め

不幸を避けようとしている以上

外側に絶対的な何かを求めて

右往左往している以上

 

わたしたちは

根無し草のように

幸せというまぼろしに翻弄されつづける

 

至福の感覚に

「根づいている」ことが必要なのです

 

外側のできごとに感情をかき乱され

揺さぶられながらも

わたしたちは常に

母なる道-タオ-に

根づいている

 

そして

一度として

そこから切り離されたことなどない

 

自身の内奥、深い深い場所

絶対不可侵の領域に座りつづける

覚悟と忍耐が

その根を広く、深くはらせていく

 

その根は

母なるタオの宇宙エネルギーを

安定して汲み出しつづける

 

根は、力のミナモト

力強く根を張った樹は

高く空へとその身をのばす

 

わたしたちはもともと

自ずと花咲くときを

収穫のときを知っている

 

どんな花がさくか

どんな実がなるのか

いつ満開になるのか

いつ熟すのか、、、

 

その可能性を

不安や焦燥で枯らしてしまってはダメ

 

すべては

「そうなる」ようにできているのだから

 

 

幸せになろうとする必要はないんです

 

わたしたちはもともと

至福の存在

 

どう転んだって幸せ

 

そういうふうにできているんですから

 

あそびをせむとやうまれけん

神游りら