さとりの中で生きる

獅子座満月、自我を磨け

🌿〜あるがまま〜の自分軸で人生創造をエナジェティックにあそぶ🌿

🌸癒しの音と数秘のアルケミースペース〜
神遊
kamiyuu〜へようこそ🌸

 

今日はしし座の満月ですね。

しし座は、火の第二形態

『自我』を磨き貫く星座です。

 

その支配星は

あらゆるものに元氣を与え

生成化育する「太陽」。

 

もし、自分自身に、社会に

輝きや元氣がないのなら

今、しし座的な要素が

足りていないのかもしれません。

 

あなたは、周囲の反応が氣になって

自己主張することを避けていませんか?

 

自分の意見を通すことは

ワガママで調和を乱すことだと

そう思っていませんか?

 

かくいう私も

しし座的な『自我』はエゴであり

「自己主張することは美徳ではない」

と、長い間思い続けていました。

 

自我の強い人間は、悪である、とまで

思っていましたね(;^ω^)

 

精神世界やセラピーの世界に

傾倒していた時期が長かったこともあって

 

私にとっては

「調和」が何よりも大切であり

「自我を滅却すること」が

自分自身の課題であるとも思っていました。

 

 

さて、今日は、私の長男の21歳の誕生日です^^

 

昔は

まさかこの年になるまで

子どものことで悩んでいるとは思いませんでしたが(^^;

母親と息子の関係は、年をとっても続くのですね。

 

彼は

しし座の氣性をそのまま貫いている子で

彼が幼いころから

私はその自己主張の強さが

とにかく苦手でした。

 

もともと自由な環境を好む私が

厳格な家に嫁ぎ、母として嫁として

こうあらねばならぬ、という理想形を与えられ

 

精神を患いながら

なんとかバランスを取らなければと

あがいていた当時

 

とにかく、長男の素行を矯正しなくてはならない

という義務感にかられ

あらゆる努力をしました。

 

今ではもちろん

そんなムリヤリな努力なんて

報われるはずのないことをわかっていますけど^^

 

当時の自分は、そんなこと知りませんしね。

 

果たして

そんな『平穏無事』を祈る私の世界に

息子は、常に波乱を巻き起こしてきました。

 

とにかく、何から何まで規格外だったのです。

それは、年齢を重ねるごとに、顕著になってきました。

 

この子は

なぜ私をこれほど苦しめるのだろう?

私の思惑の逆をいくのだろう?

そう何度も問いかけました。

 

彼の起こす波乱を

少しでも穏便に治めたくて

エネルギーもお金もたくさん注ぎ込みました。

 

でも

そうすればするほど

精神も経済も枯れ果てていく。

 

もがき、あがき

そしてようやく

私はその波乱の核にたどり着きました。

 

その核は

彼の自我を「悪」としていた自分自身です。

 

彼を「問題を起こす悪者」という色眼鏡で観ていたのです。

 

彼が何か言うたび

何かを始めるたび

「今度はどんな面倒を起こすの⁈」

「またお金が必要なの?」

「今度はどんなひどい罵声を浴びせるの?」

という

「怖れ」の反応のスペースから現実を創造していました。

 

否。

 

息子は

ただ、自分自身として

自我を貫いて

自我を磨いて

太陽のように輝かしく生きたいだけなのだ

 

そして

「母よ、あなたは偽りの自分で生きている」

と、身をもって知らせてくれているのだ

 

と、悟ったのです。

 

息子は、周囲の大人たちから好かれませんでした。

自分の真実を生きる規格外の子どもは

社会に迎合した大人たちから見れば

とても煙たいものです。

 

私だけは

母親である私だけは

それを認めてやれればよかったのですが

 

それを受け容れるには

相当な時間がかかりました。

 

今は

獅子のように自分を貫く息子を誇りに思います。

 

自我の強さゆえに

立派なことは言っても

理不尽だし、つっこみどころは満載ですが

 

まあなんというか

彼なりの論理が通っているのです。

それが、ゆるぎない自信の源なのでしょう。

 

世間がなんと言おうと

自分は自分であることに誇りをもっている

 

彼は、自分の生きざまをもって

私に教えてくれているのだと

今は納得しています。

 

少し前

彼の私に向けた一言で

心に深く残っているものがあります。

 

それは

 

「お母さんって、何かを必死に頑張ったことあるの?」

「そういうとこ見たことない」

 

という言葉です。

痛い一言でした。

 

この半生、私は苦難から解放されるために

あらゆる学びや精神的な修養に努めてきました。

それはもう、必死の作業でした。

 

だから、そんなことを言われるとは

相当心外だったのですが

 

ただ、それは

苦しみからの解放のための努力で

彼にはそれが

「生きる」エネルギーにあふれていない行動

見えたのでしょうね。

 

私のあらゆる努力は

「喜び」が動機ではなかったのです。

 

でも

息子は、自分の光を目指して

もがきながらも、いつも力を注いでいた。

 

どんなときも

「艱難」を「苦しみ」だとは捉えなかったのです。

 

彼は、いつも自分自身の「力」にフォーカスし続けていたのだな

と、今は思うのです。

 

Superflyの有名な曲の歌詞にもありますが

私は泣くのが得意で

最初から慰めをあてにしてた

んですね。

 

表面的な平安を保とうとする私の涙の訴えを

彼は決して聞くことはありませんでした。

 

真実に生きる者は、偽りを見抜く。

彼は、私の甘ったるい感情論には

全く耳を貸さなかったですね。

 

当時はそれを

母親の氣持ちを大事にできないひどい息子だと

そう思っていましたが

 

今は

彼がいつも彼自身であり続けてくれたことに感謝しています。

 

そう

あなたはあなたのままで

自我を磨き尽くせばいい。

 

私はもう、怖れはしない。

あなたは私の誇り。

 

何があろうと、何が起ころうと。

 

 

ハッピーバースデー。

最後までお読みくださりありがとうございました。

神遊りら