老子道徳経
-第76章-
人は
生まれるときは柔らかくて弱弱しいけど
死ぬときは、硬くこわばっている
草木は
芽吹きのときの若芽は柔らかく、もろいけど
朽ちるときは、干からびてカラカラになる
かたく、こわばったものは
「死」の表れであり
やわらかく、よわよわしいものは
「生」の表れだ
だから
堅固で強力な軍隊は死の表れだ
勝つことはできない
樹木もかたく、強ければ折れやすい
木をみてごらん
下の方の根や幹はしっかりと強くて
上の方の枝や葉は柔らかく風になびく
硬くて強いものは
やわらかくて弱弱しいものにはかなわない
そういうふうに、この世の中はできている
神遊りら 訳
この世界では
強くなければ生きていけないと教えられてきた
弱さは罪だと教えられてきた
だから
人は強くなろうとこわばっていく
強くなるために、その身を硬くしていく
硬くなることは、死への道だ
わたしたちのからだは
生まれたと同時に死へと向かう
柔らかさは失われ
みずみずしさは失われていく
それは自然の成り行きだ
でも
この世で生き残るためには
強く、こわばることが必要なのだ
という思い込みが
急速に柔らかさ、みずみずしさを失わせる
柔らかさはいのち
わたしたちは
柔らかく、弱弱しいものの中に
「いのち」を観る
赤ん坊、子ども
子猫や子犬、鳥のひな
新緑の芽吹き
観るだけで
わたしたちの胸は広がり、温かくなる
そのいのちが、つつがなく育つことを
わたしたちは祈る
子どもたちが育つよう
大人たちはその下支えになることを厭わない
柔らかく育ちゆくいのちを
何よりも大切にする
それが、自然のありようなんじゃないかと思う
だからね
自分のやわらかな、弱い部分を
大切に見守り、育ててあげたらいいと思う
社会で生き抜くために
競争に勝つために
硬くこわばるよりも
どうしたら
自分の柔らかさを保ち、大事にしていけるか
そんなことを問いかけてみたらどうだろうか
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら
人の生まるるや柔弱
其の死するや堅強なり
万物草木の生まるるや柔脆
其の死するや枯槁なり
故に堅強なる者は死の徒にして
柔弱なる者は生の徒なり
是を以て兵は強ければ則ち勝たず
木は強ければ則ち折る
強大なるは下に処(お)り
柔弱なるは上に処る
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)