女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第75章-生を存分に生きたいなら

老子道徳経

-第75章-

 

わたしたち庶民が貧しく、飢えているのは

それを治める側が税をとりすぎるからだ

上に立って治める人たちが

下々の者たちにあれこれ干渉すると

わたしたちは居心地わるくて

世の中はかえって乱れる

そうすると

人は死んでもかまわない、というふうになる

上に立つ人たちが

自分の保身ばかりを考えて生き永らえようとするからだ

 

生きることに、執着しない

よりよい生を求めない

「生」をことさらに貴ぶよりも

そのほうが、いいあり方じゃないか

神遊りら 訳

 

 

生きること

『生き残る』ことに一生懸命になりすぎると

「生」を楽しめなくなる

わたしたちは

たくさんの恵みに抱かれているのに

それに氣づけなくなる

どこからか

恵みをもらわなきゃ生きていけないと思ってしまう

 

社会は、人々から搾取する

エネルギーを奪う

彼らは、生き残ることにとても熱心だ

よりよい生を

いつもいつも探している

 

でも

どこまでいっても

よりよい生なんてみつからない

誰かから奪って

自分がゆたかになろうとしているうちは

 

なんでもそうだけど

握りしめて大事にしすぎるとつぶれてしまう

いのちだってそうじゃないかな

 

いのちは

自由にあそぶことが好きなんだ

大事にされすぎたら窮屈になる

 

生を

いのちを

ことさらに貴んで

後生大事に出し惜しみするよりも

ただ今に生きてることを感じてよろこぶ

今できることができる、というよろこびを感じる

 

いま、逢える人に逢えること

いま、食べられるものを食べられること

いま、目の前にあるものを観られること

いま、周囲にある音を聴けること

いま、生活のにおいを嗅げること

いま、触れられる冷たさや温かさを感じられること

 

いま、すべてが与えられているこの世界で

いのちという存在を感じていられること

 

それが

いのちのほんとうの使い道なんじゃないかな

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら

 

 

 

民の飢うるは

其の上の税を食(は)むことの多きを以て

是を以て飢う

民の治め難きは

其の上の為すことを有るを以て

是を以て治め難し

民の死を軽んずるは

其の上の生を求むることの厚きを以て

是を以て死を軽んず

夫(そ)れ唯だ生を以て為すこと無き者は

是れ生を貴ぶより賢(まさ)る

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)