老子道徳経
第24章
希言は自然なり
故に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず
驟雨(しゅうう)は日を終えず
孰(た)れか此れを為す者ぞ、天地なり
天地すら尚お久しきこと能(あた)わず
而(しか)るを況(いわん)や人に於いてや
故に道に従事する者は、道に同じ
徳なる者は、徳に同じ
失なる者は、失に同ず
道に同ずる者には
道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ
徳に同ずる者には
徳も亦たこれを得るを楽しみ
失に同ずる者には
失も亦たこれを得るを楽しむ
信足らざれば
焉(すなわ)ち信ぜられざること有り
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)
うるさい言葉はないほうがいい
吹きすさぶ風は、明日の朝まではつづかない
激しい雨も、一日中はつづかない
これを為すのは天地のわざ
天地でさえ、長つづきしないのに
人ならなおさら、長続きさせることはできない
「静かであること」
それが自然のありかただ
タオの人は、タオとひとつになろうとする
タオを信じない人は
タオを否定した世界とひとつになろうとする
タオとひとつになろうとするひとを
タオは喜んで受け容れる
タオを否定する世界とひとつになろうとするひとを
その世界は喜んで受け容れる
おしゃべりが過ぎると
どんどん本質から遠のいていく
沈黙は、タオへの道だ
神遊りら 訳
大切なことを伝えたいとき
言葉の無力さを知る
ほんとうに伝えたいことを
言葉で伝え切ることは絶対に不可能だ
絶えずしゃべっているひとは
大事なものを取り逃がしている
しゃべることで、隠そうとしている
そして
ほんとうの自分とともに在ることができない
沈黙の自然さ
心地よさ
それを感じているとき
タオは内奥に深く深くしみわたっている
タオはわたしを満たし
一体となっている
言葉は、とても便利なものだ
だけど
表現したいことの1%も表すことはできない
そんな氣がする
それをわかって、言葉をつかえばいいけどね
みんな、言葉に重きを置きすぎる
この世はうるさい
しゃべりすぎだ
ゴミのような情報であふれてる
無音の中にこそ
ほんとうの情報がある
沈黙のなかにこそ
ほんとうの平安がある
このうるさい世界で
沈黙を守るのはとてもむずかしい
でもね
どんなに外側がさわがしくても
静けさは自分の中に常にある
それを一度みつけたら
どんなところにいようと
沈黙とともにあることはできるんだ
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら