女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第23章-役立たずのデクノボー、でもいいじゃないか

老子道徳経

第23章(旧22章)

 

曲なれば則ち全(まった)し

枉(ま)がれば則ち直し

窪めば則ち盈(み)つ

敝(やぶ)るれば則ち新たなり

 

少なければ則ち得られ

多ければ則ち惑う

是を以て聖人は

一を抱きて天下の式(のり)と為る

 

自ら見(あら)わさず、故に明らか

自ら是(よし)とせず、故に彰(あら)わる

自ら伐(ほこ)らず、故に功有り

自ら矜(ほこ)らず、故に長(ひさ)し

 

夫(そ)れ惟だ争わず

故に天下も能くこれを争うと莫(な)し

古えの謂(い)わゆる曲なれば則ち全しとは

豈(あ)に虚言ならんや

誠に全くしてこれを帰す

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

曲がりくねって役に立たない樹は

切られることなくその身を全うできる

曲がることができれば

ピンとまっすぐにのびることができる

窪み、へこんでいれば

そこに自ずとエナジーは溜まってくる

ボロボロになってやぶれれば

新しくなれる

 

お金や物をあまり持たなければ

自ずと必要なものは入ってくるけど

たくさん持ちすぎれば

迷い、惑うことになる

 

タオの人は

そのことをちゃんとわきまえているから

そのお手本になるような生き方ができる

 

目立とうとしないから

その存在が際立つ

自分が正しい、と主張しないから

その正しさがとおる

自慢したりしないから

大成功をおさめる

才能をひけらかしたりしないから

その存在を永らえる

 

「自分」を通そうとして

人と争うことをしない

だから、何ものも彼と争おうとはしない

 

古来

自分を曲げ、身を低くできる人は

その身をまっとうできると言われるけど

ほんとにそのとおり

 

そうして生をまっとうして

タオへと還るんだ

神遊りら 訳

 

 

この世の中は

社会の役に立つ人をエライとほめる

だから

社会の役に立ちたがる

そうして、身をすりへらして生きて

氣づいたら自分のよろこびなどどこにもない

そんな人がたくさんいる

 

ジャンプするときには

いちどしゃがまなくちゃ高くは飛べない

エナジーが満ちるのは

空っぽの空間があるからだ

捨て身になれば浮かぶことができる

 

捨て身、というのは

「自分が」という想いがないことだ

すると

高く飛ぼうとしなくても

満たそうとしなくても

それは自然とそうなる

 

だから

何かを成し遂げたとしても

自分が成し遂げたとは思わない

何かを所有しても

それが自分のもの、だと執着しない

それは、「自然に現れる」もの

 

そもそも

「自分」という存在を大事に守ろうとするから

ことさらに目立とうとしたり

能力や業績をひけらかそうとする

特別な存在だとアピールしたがる

 

自分の意見を通そうとする

自分を際立たせようとする

自分を認めさせようとする

 

その「自分」って何?

 

わたしたちが「自分」だと思っているものは

エゴー偽りの小さな自分

その小さな自分にこだわればこだわるほど

ほんとうの自分からかけ離れていく

 

エゴは、特別でなくては生きていけない

人よりも高く、先んじて

効率よく、評価を得て

スマートで利口に

名声やお金を手に入れようとする

 

それができる人を

社会では勝ち組とかいうのかもしれないけどね

そんなものがほんとうの勝利なの?

 

ハスの花は

泥の中に身を置くことをいとわないからこそ

咲くことができる

 

身を低くして出っ張らない

役に立たない、でくのぼうと言われることをいとわず

無為自然に

生の花を咲かせていく

 

それがタオの人の生き方なのだと思うよ

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら