さとりの中で生きる

セレンディピティにあふれる生き方③どう行動する?

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神遊
kamiyuu〜へようこそ🌸

 

今日も引き続き、セレンディピティについて。

セレンディピティとは

思いもかけない幸運に出逢う能力です。

能力、というからには

高めることができますよね^ ^

 

脳科学者の茂木健一郎氏は

セレンディピティの三つの要素を

行動、氣づき、受容であると説いています。

そして

第一の要素である「行動」に理由は必要なく

とにかく何でもいいから

思い立ったら行動すれば良い、と述べられています。

 

たとえば、「A」という目標のために行動していたら

「B」に出会うというのがセレンディピティであり

「A」の行動は、どんなものでもいい。

 

どんな理由でも、理由なんてなくても

とにかく行動によって

「視点の移動」をさせることが重要だということです。

 

確かに

考えるよりも先に行動していると

いろいろな方向からサポートがやってきます。

 

こういうときは多分、氣づかぬうちに

セレンディピティの流れの中にあるのだと思います。

 

あれこれ考えず、行動に目的を持たせないとき

どれだけ軽やかに動けるか、感じてみたことがありますか?

 

ただ歩く。ただ走る。ただ食べる。ただ書く。

 

そういうとき

ほんとうに心もカラダも軽快で心地よいのです。

時間も、重力も感じるのを忘れます。

 

ところが、何か目的を持ったとき

たとえば

「痩せるために」運動しなきゃとか

健康的な食生活をしなきゃ、とか

目的を持ったとたん、行動は義務的になります。

 

運動や健康的な食生活そのものを楽しむのではなく

その行動が義務になったとき、すべてがつまらなくなります。

 

 

私の今までの人生はずっと

極めつけの「目的志向」型だったので

興味のほとんどが

達成や獲得という「結果」に向いていて

行動のプロセス自体を楽しめずにいました。

 

それは、本当にもったいない話です(^^;

 

だから

私は今はつとめて意識的に、くつろいで

「無目的」に行動することの心地よさを味わうことにしています。

ひとつひとつの行為を

いかにくつろぎながら、楽しんでやれるか。

 

これは、自分自身とのゲームです。

今まで「義務」としておざなりにやってきた行為を

意識をそらさずに「集中」してできたら、私の勝ち^^

 

これをやり始めてから

茶碗洗いとか洗濯もの干しとか掃除とか

嫌いな家事がそれほど億劫でなくなりました。

 

『無目的に行為する』

心地よいですね〜^ ^

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

神遊りら