TAO- 無為自然の錬金術

ネコの最期のおおしごと②いのちのかぎりに

🌿〜あるがまま〜の自分軸で人生創造をエナジェティックにあそぶ🌿

🌸癒しの音と数秘のアルケミースペース〜
神遊
kamiyuu〜へようこそ🌸

 

昨日の続きです。

 

長男との諍いから二日後

それまでたまによろつきながらも

自力で歩いていたネコが

ほとんど歩けなくなりました。

 

覚悟はしていましたが

やはり、その姿を見るのはつらかったですね。

 

そして、彼女が逝くまでの時間

長男も次男も

できる限り一緒にいることにしました。

 

最近、大学に行きながら

トレーダーとして仕事をしている長男は

やむをえない仕事で出かけなくてはならず

後ろ髪をひかれる想いだったでしょう。

 

彼は家族の中でもとりわけ

ネコをかわいがっていましたから。

 

7月2日、ネコが危篤になったとき

彼は、目の手術後の入院のため

翌日から入院をしなくてはならなかったのですが

『「帰ってきて死んでました」じゃ、一生後悔する』

と言って、入院はしないと言いはりました。

 

「失明することの方が、後悔じゃないのか」

と、私は何度も説得しましたが

彼は聞かなかった。

それほどに、大切な存在だったのです。

 

ネコが逝く前の晩

まだ大丈夫だろうと思い

私と次男は寝てしまいましたが

長男だけは一睡もせず起きていました。

 

早朝に見守りを交代した私は

それから

ネコのカラダに触れて

5時間ほど

心拍と呼吸をずっとみていました。

 

最期のとき

生き物の呼吸は

吐くことができなくなるんですね。

あきらかに呼吸と心拍が変わったとき

息子たちを呼びました。

 

泣けて泣けて仕方なかったですが

皆、心は穏やかでした。

三人でカラダを撫でて

ただ、感謝しました。

なんて、美しいネコなんだろうと。

 

ネコは、本当にやすらかに

苦しむ様子もなく、逝きました。

 

しばらくは誰も動けなかったけれど

真夏の暑い日、、

早くネコのカラダを冷やしたほうがいい、と

段ボールの棺に氷と保冷剤を敷き詰め

その上にネコを横たえました。

ネコを撫でながらボーっとしている私に

 

長男が

「この後、東京でOB訪問があるんだけど」

「行っていいかな…」

と訊いてきました。

 

「そりゃ、もちろん行ってきなさい」

まだ大学2年生なのに

最近の子はもう就職活動なんですね。

しかも、3社のOBと会うって。。

 

ともあれ

ここ数日

長男は私をシカト状態だったので

彼から話しかけてくれたことで

私もじわりと心が温かくなりました。

 

もう夜遅くなり

ネコの段ボールの棺のそばで寝ていた私は

長男が帰ってきた気配で目を覚ましました。

 

冷たくなったネコを撫でながら

「あのとき死んでいたら立ち直れなかった」

「よく生きてくれた」

「そのおかげで、心の準備ができた」

そう、息子はやさしく呟いていました。

 

7月初めの危篤から

1か月半生きてくれたネコの奮闘を

二人で称えているうちに

温かいエネルギーが

空間を満たすのを感じていました。

 

そしてふと

息子と私の関係性についての想いが

胸をよぎりました。

 

この20年

私は

自分ばかりが辛い想いをしてきたと

自分の辛さをわかってほしいと

ずっと慰めを期待していたのではないか。

 

でも

彼はもしかすると

私以上に辛かったのではないだろうか

 

それを支えていたのが

ネコとのつながりだったのではないか

 

普段、無表情だけれど

ネコと一緒にいるときは

とても屈託なく笑う長男。

 

この人間世界でぶつかりながら生きる彼には

ヒトよりも動物のほうが

深い関係性が築けるのかもしれません。

 

7年前に夫が亡くなり

独り孤独に子育てに奮闘してきたと

そう思い込んできたけれど

 

このネコは

私に足りなかったものを

その存在によって

息子たちに与えてくれていたのだ

 

そんな想いがじわりと湧いてきて

 

改めて

このネコの存在のありがたさに

胸が熱くなりました。

 

それは、内側から固い殻を溶かす

溶岩のように熱く

それでいて

とても涼やかでやさしい

やわらかなエネルギーでした。

 

このとき

私のスペースが大きく広がり

あらゆるものに対する

見方が完全に変わったのを実感しました。

 

もう

何をわかってもらう必要もない

彼がどうであろうと

私が彼を愛することに変わりはない

 

何氣ない偶然でひろったネコ

拾ったはいいけど

それほど可愛いとは思えなかったネコ

それが

私たち家族を根底から支え

そして

私自身の奥深くに沈んでいた

鉛の宝箱の扉を拓く役割を持っていたとは

 

人生は、本当に味わい深い。

あの日あのときの一瞬を見逃していたら

このネコとは会えなかったのだから。

 

骨と皮だけになって

ヨロヨロになりながら

繰り返し、このネコが身をもって教えてくれたこと

 

それは

『凛として、いのちを生き切る』こと。

 

『そうよ、お母さん。私を見なさい

 

1か月半の間

そう、何度も言われている氣がしました。

 

いのちの限りに、生きる。

身を捨てて生きる者は、なんて美しいのだろう。

 

これからもずっと、ともに。

ありがとう。ネコ。愛してる。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

神遊りら