女神たちの老子道徳経
-第54章-
タオに根付けば
引き抜かれることはない
タオにしっかりと抱かれていれば
抜け落ちることはない
タオのあり方に根付いていれば
その祖先のやり方は子々孫々まで受け継がれるだろう
タオにしっかりと根付いたひとは
真のパワーを発揮し、世の役に立つ
そのはたらきは家全体に波及し
郷里、国、そして世界へと広がっていく
個人においても
家においても
地方においても
国においても
世界においても
このタオのパワーに根付いているか
それによってのみ
状況を見定めることができるんだ
神遊りら 訳
世界を変えたいなら
まず、自分自身から
って言われる
自分自身が一番近い世界だからね
世界を変えようなんて
思わなくても
自分自身がただ心地よくあること
それにフォーカスしていると
世界はなんだか穏やかになってくる
タオに根付いたひとは
いつもご機嫌だ
まわりの世界で起こっていることは
その人に影響を与えない
タオのひとは
存在していることに満足している
ただ、あるがままの世界を見つめてる
そして、起こるすべてを受け容れる
何ものとも争わない
周りからは、その人が激怒しているように見えても
その人の奥深い場所は静かなままだ
激怒している自分すら
ただ見つめ、受け容れている
表面はどんなふうにでも繕える
聖人君子づらもできる
でも、心の奥底では憎しみや怒りが渦巻いている
世界はそんな人だらけだ
その黒いエネルギーは、周囲へと波及して
世界全体を覆ってる
タオの人はあるがままなんだ
怒りを発露しても
そのあとは子どものようにケロっとして笑ってる
怒りはただのエネルギーだ
ねじ曲げずに発散すれば、それで終了だ
怒りが悪い、と
誰が決めたのだろう
そのひとの素直なあり方に
周りも心地よくなり、感化されていく
そして、どんどん
自然のままのあり方が広がっていくんだ
そんなあり方では
この世の中では通用しないって
ふつうは思うよね
でもそれは
わたしたちが
不自然な世の中に慣れすぎてしまってるからじゃないかな
ずいぶんと永いこと
不自然さの中に生きてきたから
「不自然さ」が当たり前になっていて
それがむしろ「自然」だと勘違いしてるんじゃないの?
「自然」が当たり前だったころに
もう一度還ろう
自分自身の根っこを
源をみつけるんだ
そこにつながり、根付いたのなら
あなたがそこに存在するだけで
タオのエネルギーはあなたを満たし
周囲に広がっていく
それこそが
わたしたちができる最大の貢献なんだよ
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら
善く建てたるは抜けず
善く抱けるは脱せず
子孫以て祭祀して輟(や)まず
これを身に修むれば
その徳は乃ち真なり
これを家に修むれば
其の徳は乃ち余りあり
これを郷に修むれば
その徳は乃ち長し
これを邦に修むれば
その徳は乃ち豊かなり
これを天下に修むれば
その徳は乃ち普(あまね)し
故に身を以て身を観
家を以て家を観
郷を以て郷を観
邦を以て邦を観
天下を以て天下を観る
吾れ何を以て
天下の然るを知るや
此れを以てなり
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)