女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第48章-知識をすてると見えてくるもの

老子道徳経

-第48章-

 

学を為せば日々に益し

道を為せば日々に損ず

 

これを損じて又た損じ

以て無為に至る

無為にして為さざるは無し

 

天下を取るは

常に無事を以てす

其の事有るに及んでは

以て天下を取るに足らず

 

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

いろいろ学んでいくと

知識はどんどん増えていくけど

タオのあり方に従っていくと

その知識はどんどん減っていく

 

吸収した知識が

どんどんなくなっていって

「無為」の状態に至る

為さずしてすべてを成し遂げている状態だ

 

人の上に立つタオ的なリーダーは

ことさらなことをしない

もし

ことさらな、特別なことをしているようなら

まだまだその程度ってことだね

 

神遊りら 訳

 

 

たくさんのことを知ってると称賛される

情報を得るのが大変だったときは

物知りの人は、ほんとうに尊敬された

 

でも、今はどうだろう

知らないことがあれば

即、答えを与えてくれる時代だ

 

知識というものが

これ以上軽く扱われる時代はかつてなかった

だからね

今の時代は混沌として先が見えないけど

ある意味では

正しい方向へと向かっているのかもしれない

 

たくさんのことを知っていると

情報が錯綜して

決定を鈍らせる

子どものころは

何だって素直に決められたのに

 

あるときから

こうした方がいいよ

こうするとあぶないよ

こっちの方が得だよ

って

いろんな声が聞こえるようになる

 

その声は

いつもわたしたちを苛み

迷いの思考のループに陥らせる

 

知識を重んじ

思考を重んじ

計算を重んじる

 

知識人、インテリと言われるのを

よろこびながら

一生それで生きる人もいる

 

それは

その人たちの選択だ

たのしいならそれでいい

 

でもね

知識がほんとうのよろこびにつながるとは

やっぱり思えないんだよ

 

知識は死んだものだ

過去のものだ

リアルじゃない

それは、だれから学んだの?

だれがそう決めたの?

 

そうした情報がすべて

どうでもよくなったとき

こざかしいアタマの支配をぬけて

ほんとうのリアルがみえてくる

 

格別であろうとすること

特別であろうとすること

すべて、アタマのしわざだ

 

ほんらいの自分は

そんなこと氣にもしない

だって

もともと格別だし特別だから

 

わざわざ

知識を棄てたり

本を燃やしたりすることはない

 

ただ、それに囚われることをやめればいい

そんなもんだって

そんな程度のものだって

知ってればいい

 

その上でなら

知識はとっても楽しいものになる

 

ことさらなことをしない

無為の状態

そこからなら

何をやったって楽しいし

OKなんだよね

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神遊りら