女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第35章-おだやかな現実をつくろう

老子道徳経

第35章

 

大象(たいしょう)を執れば、天下往(ゆ)く

往きて害あらず

安、平、大なり

 

楽と餌(じ)とは、過客も止まる

道の言に出だすは

淡乎(たんこ)として其れ味わい無し

これを視るも見るに足らず

これを聴くも聞くに足らず

これを用いて既(つく)すべからず

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

タオの大きなイメージを抱けば

ものごとはスムーズに運ばれていく

やすらかで、平和で、おちついてる

 

魅力的な音楽やご馳走は

往く人の足を止めるけど

「タオ」を言葉で表現しても

淡泊でそっけないだけ

見ようとしても見えない

聴こうとしても聴こえない

だけど

そのはたらきは無限大で

どれだけ使っても

尽きることがないんだ

 

神遊りら 訳

 

 

タオに近いイメージを抱いているほど

わたしたちの日常はおだやかになる

 

かつて、わたしの日常が

とても殺伐としていたころ

日々抱いていたイメージは

とてもとげとげしいものだった

 

とても苦しかったころ

何を考えるか、で

ひきよせる現実が変わるいうことを知ってからは

一生懸命「いいこと」をイメージしようとしたよ

でもね

今の現実がイヤでたまらなくて

そこから逃げたいから

いい未来のイメージをしようとしても

できるもんじゃない

 

不安や恐怖のイメージに圧倒されるのは

「根っこ」とのつながりが細いからだ

不安や恐怖のイメージは

誰にだってやってくる

そして

それが現実化することはほとんどない

 

でも

それに圧倒され、呑み込まれてしまったら

不安や恐怖と同化してしまったら

それは現実となる

 

世の中には

たくさんの引き寄せメソッドがあって

いろいろなツールやテクニックを謳うけど

成就するかどうかは

小手先、枝葉のテクニックによるもんじゃなくて

その人が

タオの領域ー大元、根っこに触れているかどうか

それだけなんだよね

 

目に見えるもの

耳に聴こえる音

味や香り

肌ざわり

それらは、否応なく刺激をもたらし

わたしたちは、あたりまえに知覚する

それがどんな感じなのか

言葉で表すことはできる

 

でも、タオは言葉で表しても

なにがなんだかわかったもんじゃない

言葉にすればするほど遠ざかる

 

だけどね

生をいつもいつも観察していると

起こるできごとを

日常を味わっていると

その根底に流れている

確かなチカラを感じることができる

 

それはとても微細だけど

とてもとても大きくて強いチカラ

それに支えられている

 

そのイメージとともにあると

大きな広がりの中で

ただ安らいで、くつろいでいられるんだ

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら