わたしたちは知らず知らずのうちに
たくさんのルールを自分自身に課してる
そのことに氣づいていますか?
わたしに深い心の内を明かしてくれた人たち
ークライアントさんや親しい友人たちは
このルールに縛られて
苦しんでいる人がとても多かった
それは
=イコールわたし自身がそうだということ
出逢うひとたちは
自分の写し鏡でしかありません
いつなんどきも
奥深いところから
根強い縛りのルールによって
突き動かされていたことに氣づきます
失敗しちゃいかん
役に立たなくちゃいかん
人を不快にしちゃいかん
周囲を心地よくさせなくちゃいかん
いつも感じよく接しなくちゃいかん
不快感をあらわにしちゃいかん
けっして人に迷惑をかけちゃいかん
わたしは
こんなルールを
ずっと自分自身に課してきました
そのルールのもとになっているのが
罪悪感
無価値感
罪悪感がないひと、というのは存在しません
人類共通の深層意識に横たわっているから
程度の差はあれ
「自分自身の存在自体が罪悪」という
この思考の影響を必ず受けている
罪悪感は
わたしたちのよろこびを堰き止める
最も破壊的な考えです
何か起こったとき
冷静な目でみれば
決して自分がわるいわけでもないのに
わたしが悪いんだ
と自分自身を責める
わたしが悪いんです
と周囲に謝罪する
そうすることによって
その場はまるくおさまるかもしれない
だれかが悪者になることで
周囲も自分も納得する
社会は、スケープゴートを必要としている
だから
じゃあ、わたしはその生贄になります、と
ただ社会的にうまく立ち回るために
うまく場を鎮めるために
どれだけ自分の真実を
自分自身の権威を
踏みにじってきたか
どれだけ、自分を虐待してきたか
そのことに氣づかなくちゃいけない
もう
自分をいじめるのをやめなくちゃいけない
たましいが窒息しそうになるほど
罪悪感に苛まれるひとは
そうはいないでしょう
でも
もしそんな体験をしてきたのであれば
自分の価値もパワーもすべてあきらめて
わたしはいいんです、、
周囲さえよければ、、
という生き方をしてきたのであれば
もう、きっぱりやめにしましょう
罪悪感は消えることはないし
これからもわたしたちを
いつなんどきも
突っつくでしょう
でももう、充分じゃあないですか
自分に課したルールを優先して
たましいのよろこびを犠牲にするというやり方
もう、充分すぎるほど体験したのではないですか?
罪悪感や縛りを動機にして
良い人間であろうとすればするほど
聖人であろうとすればするほど
わたしたちは
いのちのエネルギーをすり減らしていく
罪悪感など
生きる上ではなんの役にもたたない
捨ててしまえ!
犠牲者の人生を
生贄の人生を終わらせなきゃ
ほんとうの人生なんて始まりゃしない
しなきゃいけない、べきだ
から
したい!
の人生へ
どんどんシフトしていこうじゃないか
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら