至福の扉は、いつだってひらかれている
この数千年
えらい人たちの支配によって
わたしたちは
幸せになるには十分な存在ではない
と刷り込まれてきた
幸せになるためには
天国にいくためには
信心深く、道徳的で、利他的でなくてはならない
そうでなければ
地獄へいくと
信じ込まされてきた
「わたしは罪の存在だ」
「このままでは
受け容れられるには十分な存在ではない」
という信念は
たとえそれを自覚しない人たちの中にも
根深く、根強く存在している
無自覚のうちに
自分は幸せに足る存在ではないという信念に
せきたてられ
もっともっと努力をしなくては
と
生のエネルギーを消費しつづける
正しくあるために
周囲に認められるために
なにより
自分で自分を認めるために
あらゆる
外的なアドバンテージを得ようとする
その結果
豪奢な鎧をまとい
堅固な要塞を築くことには成功したかもしれない
でも
やればやるほど
どこまでいっても
なにをやっても
「わたしにはその資格がない」
という信念は消えない
消えないどころか
ますます
信念は強くなる
ひとは
ある信念から行為すると
その信念をどんどん強めていくようになっている
だから
「自分は幸せに値しない」
という信念から
幸せを求めて行為すれば
ますます
幸せは遠のいていく
だがしかし
いつか楽園の扉を開く鍵を
手渡されるときがくると信じながら
苦しみの道を進みつづけると
どこまで行っても出口がみえない
このやり方を
やめるときがくる
あらゆる努力の虚しさを知り
手放すときがくる
もう
努力をするためのエネルギーも枯れ果てて
ふらふらと
楽園の扉の前まで歩をすすめ
手をのばしてみると
そのとき
楽園の扉は
もともと開いていたことに氣づく
だれも
その扉に鍵をかけることなんてできない
わたしたちは
もともと楽園にいるのです
楽園とは
享楽、安楽の世界ではなくて
ただ
今ここの自分自身を受け容れ
無条件に認めていられる
その状態のことです
過去にこんな過ちを犯したと
だから自分の未来は
このままではろくなものにならないと
自分を責め、過去を後悔し
不安に苛まれ、未来を憂う
だから今ここにいられない
地獄というものがあるとすれば
それは針の山や焦熱の地獄のことじゃなく
過去と未来に心を奪われ
今ここにいられない状態のことなのです
至福の扉は
いつだって開かれている
だけど
その門は
今ここにしか存在しない
今ここ、にだけ
至福の門は存在する
今ここの自分を受け容れる
過去に何があったか
今の自分がどんな状態であるか
そんなことはまったく関係ない
今ここから
ただ
新しくな門をくぐればいいだけ
さあ、いきましょう
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら