女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第68章-この世の勝利者になるには

老子道徳経

-第68章-

 

立派な武者はたけだけしくない

すぐれた戦士は怒らない

勝利を収める者は敵と争わない

人を活用する者は、自らへりくだる

これは

「争わない徳」といい

「人の力を活用する」

「天とならぶ」

古くからの法則なのだ

神遊りら 訳

 

 

この世における勝利とは何だろう?

 

今の世の中は

老子の時代のような

戦国の世じゃない

 

でも

わたしたちは常に

自分自身を闘いの中におくクセがある

この世は、競争の世界

闘って勝つための戦略にあふれてる

 

たけだけしく

雄々しく

先陣を切って立ち回る

 

そんな武将こそがカッコイイって

昔は思っていたよ

 

戦士のように闘うことを

少し楽しんでいたような氣もする

 

でも、それは

とても疲れることだったね

たけだけしく激しいあり方に

酔っていたのかもしれない

 

この世界は

しなくていい争いに明け暮れる

闘っているとき

自分は正しい者だと信じられるかもしれない

生きている、という実感を味わうことができるかもしれない

 

でも、あるとき氣づく

争いは、ある種のマスターベーションだ

何も生まない

虚しさだけがつのる

 

わたしは誰とも争わない

という人もいるだろうか

そんな人はまずいないだろうけど

誰もが

他人と、自分自身と闘ってる

 

闘いは、この世の当然のありようだ

フツ―に生きてたら

まず闘いの中に身を置くことになる

 

だからこそ

こんな世の中で

争わないでいられるにはどうあればいい?

 

 

やっぱりね

水のようであることなんだと思うんだよ

それに尽きると思うんだよ

女性的である、ってことなんだよ

 

打ち負かそうと先んじる

怒りの情に流される

必要以上に敵対する

こんな劣位の男性性の闘いの世界に

ずっと慣れすぎてきたから

 

男たちだけじゃない

女たちも、闘いを余儀なくされてる

 

今、この渇いた世の中を潤すのは

本来の女性性

やわらかい水のようなあり方だ

 

闘いの渇きを潤し

スキマを埋めて融和していく

そんなあり方をゆるせば

きっと

勝とうなんて思わなくても

わたしたちは

人生の勝利者になるはずだよ

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら

 

 

善く士たる者は武ならず

善く戦う者は怒らず

善く敵に勝つ者は与(とも)にせず

善く人を用うる者はこれが下と為る

是れを不争の徳と謂い

是れを人の力を用うと謂い

是れを天に配すと謂う

古(いにしえ)の極なり

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)