女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第22章-あるがままが一番盛れる-

老子道徳経

第22章(旧24章)

 

企(つまだ)つ者は立たず

跨(また)ぐ者は行かず

自ら見(あら)わす者は明らかならず

自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず

自ら伐(ほこ)る者は功なく

自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず

其の道に在(お)けるや

余食贅行(よしょくぜいこう)と曰(い)う

物或(ある)いはこれを悪(にく)む

故に有道者(ゆうどうしゃ)は処(お)らず

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

つま先立ちで背伸びをしていたら

長く立ってはいられない

大股で歩いてたら、遠くまではいけない

 

自分の才をひけらかす人は

その才能を認められることはない

自分が正しいと主張すれば

その正しさはあらわれない

 

自慢する人は成功しない

おごり高ぶる人の栄光は長くはない

 

タオからみれば

こんなのは余計な食べ物

いらない行動だ

誰だって

そんなものは好まないはずだ

 

だからタオの人は

こういうことさらな、よけいなことをしない

神遊りら 訳

 

 

『人から良くみられたい』

今の社会は、この承認欲求によって成り立ってる

 

だから、『人よりも先んじたい』

そんな欲求に駆り立てられて

背伸びをした生き方をしがちだ

 

もし、この世に一人きりだったら

ハイヒールでつま先だちで歩くかな

それが楽しいならやったらいいけども

 

わたしは、上げ底もハイヒールも苦手だ

もう、そういうのはさんざんやった

そりゃ

オシャレしたいときはたまには履くけどね

でも、それは自分がよろこぶからだ

 

でもねあんまり度を越して

自分の存在をわかってもらいたい

認めてもらいたいから

自分を過剰に売り込んだり

アピールするようになると

ほんとに逆効果

うざいよね

 

世の中にはやさしい人もいるから

そういう人を受け容れてくれるかもしれないけど

それも長くはつづかないよ

そして、大きな成功には結び付かない

 

あるがままの自分を隠して

『盛ろう』とする

 

そして、その『盛った』偽りの自分をひけらかす

もはや自分ですらない

そんな自慢ほど鬱陶しいものはない

 

みんなイヤがるし

何より、その人のたましいがイヤがる

まあ、たまになら

それもカワイイかもしれないけどさ

 

タオの人は

功を焦ったりしない

自分を売り込んだりしない

そんなこと、ほんとにバカバカしいと知ってるからね

 

だから

よけいなものを持たず

よけいなことをせず

素朴なままに生きるんだ

 

それが、結果的に

「一番盛れる」生き方じゃないかな

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら