さとりの中で生きる

慈愛への旅のはじまり

🌿最強の自分軸でお望みの人生を創造する🌿

創造の音だま🌸音と数のアルケミースペース〜神遊kamiyuu〜へようこそ🌸

 

唯物論者であった私が

精神世界の扉を開いたのは

今から20年ちょっと前のことです。

 

その頃、インドに3ヶ月ほど滞在し

アーユルヴェーダのトリートメントを学んでいました。

朝から近くの体育館にヨーガに行き

毎日カレーを食べて

野良ウシにぶつかったり

子どもの物乞いにぶら下がられたり

人糞だらけの夜道を懐中電灯を照らしながら注意深く歩いたり

亡命してきた愉快なチベット人たちと遊んだりしながら

なんとなく

 

自分が生きてきた世界とは違う

不思議な時間が流れている世界があるのだ

と、肌で感じ始めていました。

 

その後、結婚して二児の母となり

傍目からは幸せに見えながらも

ひどいウツ状態だった私は

ある師のもとで、内観法を学び始めました。

 

怒りや悲しみなどの悪感情が湧いたとき

ただ、それを観るという

それだけの行です。

 

そして次第に

悪感情に苛まれるとき以外、通常の状態のときも

常に自分の内面を見続けるという修練を積んできました。

 

「意識」で感情や思考を観る。

 

私たちは、考えていることや感じていることを

=自分自身だと認識しがちですが

 

観ることができるということは

私たちは、=「思考」や「感情」ではない

ということです。

 

その師に言われたひとことが、今も響き続けています。

 

あなたは、この行を通して

『慈愛』へとたどり着くだろう、と。

 

そのときの自分には、全く意味がわかりませんでした。

俯瞰して見つめることが、なぜ『慈愛』なのか。

 

でも、だんだんと少しずつ腑に落ちてきました。

 

『意識』『氣づき』『コンシャスネス』

それらの本質は、愛なんですよね。

 

ただ観て、意識を向けること。

それが、愛だと

今はその片鱗を感じています。

 

その意識として

あらゆるものを見つめているとき

私たちは『慈しみ』の存在として在るのだと思います。

 

自分の中に響いた言葉は

私たちにずっと影響を与え続けているのですね^ ^

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

創造のアソビスト 神遊りら