女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第79章-天の配剤にまかせれば

老子道徳経

-第79章-

 

人間のやり方でその場を調停しようとすると

必ず怨恨がのこる

それがどうして善いことだといえるだろうか

 

タオを実践する人は

金を貸しても

それを取り立てたりしない

タオから離れた人は

何がなんでも取り立てる

 

天の配剤にえこひいきはない

常に善人に味方する

だから、まかせておけばいいんだ

神遊りら 訳

わたしたちはいざこざが起こると

その場をまるくおさめようとする

不正は、正されなければならない、という

でも

どんなに上手にその場を収めたとしても

どこかにわだかまりというのは残るものだ

 

わたしもね

ある人にけっこうな額のお金を貸していたんだけど

何年間も戻ってこなかった

でも

それを敢えて取り立てることをしなかった

そのころの自分は

金の工面に少し困っていて

それがあれば、けっこう楽になれたんだろうけど

 

だから、周囲の人は

って、わたしを叱責した

「お金を返して、っていうのは

なかなかいいにくいだろうけどね

ちゃんと取り立てなきゃいけないよ」

 

でも、なんでだろう

どうしてもその氣になれなかったよ

氣が弱くて言い出せなかったわけじゃないんだけどね

 

借りたままにしている人は

貸してる人よりもけっこうタイヘンだと思うんだよ

 

その人は

氣づいていないかもしれないけど

相当な負荷をしょってる

だから、多少ムリしても

返したほうがその人は楽になるのにねって

そう思って

ことの成り行きを見守っている

 

天の配剤は

いつなんどきもはたらいている

だから敢えて

わたしは取り立てたりしないんだ

 

あそびとせむとやうまれけむ

神遊りら

 

 

 

大怨を和すれば

必ず余怒有り

安(いずく)んぞ以て善と為すべけんや

是を以て聖人は

左契を執りて

而も人を責めず

徳有るものは契を司り

徳無きものは徹を司る

天道は親無し

常に善人を与(くみ)す

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)