老子道徳経
第20章
頭をつかわないで
素の自分に還ると
思い煩うこともなくなってくる
「ハイ」とこたえるのと
「ああ」とこたえるのと
どれほどの違いがあるのだろう
美しいといったり
醜いといったりすることに
どれほどの違いがあるのだろう
人びとが畏怖の念を抱くところには
ある程度同調しなくちゃいけないかもしれない
でも
なんだかどうしたらよいか、わからない
人はみな、ウキウキしてたのしそう
すごいごちそうをいただいているかのように
春の日に高台にのぼっているように
わたしはひとり
じっとだまって動く兆しもみせない
まだ笑いをしらない赤ん坊のように
うなだれて身の置きどころもわからない
みんなは有り余るほどあれこれ持っているのに
わたしは独り、なにもかも失ってしまったかのよう
わたしは愚か者
混沌として、はっきりしない
みんな、キラキラと明るく輝いてる
わたしだけ、ぼんやりと暗い
みんな、利口でてきぱきしている
わたしだけ、もやもやしている
海のように揺蕩(たゆた)い
止まない風のようにひゅうひゅうとそよぐ
みんな、何か役に立つ能力があるのに
わたしだけは、頑なで、なにもない、能なし
人とちがっている
そして
母なるタオに抱かれて
いつのときも、養われている
かみゆりら 訳
わたし
今まで、けっこうがんばってきたと思う
人に合わせようと
社会に合わせようと
自分の居場所を見つけようと
いつもがんばった
わたしは物心ついたときから
オロオロして身のおきどころがわからなかった
だから
みんなが楽しそうにしていることをマネして
楽しいフリをしていた
そうすれば自分の居場所ができると思ってた
とりあえず
この社会の中でうまく立ち回る方法はわかった
勉強もできた
友達も増えた
大学受験も就職も、それなりにうまくいった
オンナとしての自分に磨きをかけ
夜の街にでかけ
ゴージャスな食べ物も、遊びも、享受した
いつも周りにはたくさんの人がいた
そこには享楽の笑いが溢れていた
あなたはいいわね
羨ましい
思いどおりにならないことなんてないんじゃない?
なんて言われて
かなりいい氣になってたこともある
でもなぜだろう
どんどん不安になっていく
どんどん、大切なものからはなれていく
すべてを手にしているはずなのに
わたしは
居場所を得ようとして
ますます自分の居場所を見失った
外側に見つけようとすればするほど見失う日々
ほんとうの居場所「ふるさと」は
大いなる自分とつながる以外にないのに
それでも
「信じられる何か」を外側に求めつづける
ある時点で
わたしは
あらゆるものを失った
今となればそうではなかったけど
そのときは
すべてを失ったと思った
今のわたしには
かつてのように
自分を持ちあげてくれるものもない
心を昂らせるものもない
誇るものもない
地味で淡々とした毎日
でもね
そのおかげで
今、ほんとうの自分と仲良くできてる
母なるタオのやわらかさに触れて
いつでもそのエナジーを感じていられる
なんて安心
なんて至福だろう
かみゆりら
唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ
美と悪と相い去ること何若(いかん)ぞ
人の畏るる所、畏れざるべからざるも
荒(こう)として其れ未だ央(つ)きざるかな
衆人は煕煕(きき)として
太牢(たいろう)を享(う)くるが如く
春に台(うてな)に登るが如し
我れは独り泊として
其れ未だ兆さず
嬰児の未だ孩(わら)わざるが如し
儽儽(るいるい)として帰する所なきが若(ごと)し
衆人は皆余り有るに
而るに我れは独り遺(うしな)えるが若し
我れは愚人の心なるかな
沌沌たり
俗人は昭昭(しょうしょう)たり
我れは独り昏昏(こんこん)たり
俗人は察察(さつさつ)たり
我れは独り悶悶(もんもん)たり
澹として其れ海の若く
飂(りゅう)として止まるなきが若し
衆人は皆以(もち)うる有り
而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり
我れは独り人に異なり
而して母に食(やしな)わるるを貴ぶ
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)