女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経 第19章-素朴さの美徳

老子道徳経

第19章

 

頭の良さや知識をすててしまえば

わたしたちは

ゆたかさに満たされて生きることができるだろう

仁愛や道徳をおしつけなければ

人びとは自然と慈しみあうだろう

成功や利益を追うのをやめれば

誰も人のものを盗んだりしないだろう

 

これじゃわかりにくいだろうから

もう少し言葉をつけくわえると

 

ただ素朴に、純朴に生きろということ

わたしが、自分が、という想いを薄くして

利己的な欲望をうすくする

外側から知識を得て賢くなろうとすることをやめれば

あれこれと想い悩むこともないはずだよ

 

かみゆりら 訳

 

今の世の中は

知性がもてはやされる

情報を知っていないと、情弱とかいわれる

でも、

知性重視の、情報過多の、

そういうあり方が

わたしたちを

かえって息苦しく

貧しくさせているんじゃないかな

 

人にやさしくしなさい

道徳的でありなさいと

大人は子どもたちに教えるけど

子どもは、大人たちよりもずっと

ほんとうの思いやりを携えている

 

「しなさい」と強制されることで

子どもたちの中にもともとある愛の質は

矯正され、ゆがめられるんじゃないか

 

たくさんお金を得ることとか

社会的な成功といわれるものに

わたしたちは駆り立てられるけど

その強迫観念によって

心はどんどん貧しくなっていく

 

この世界で「良い」とされる

知識、道徳、成功

そうしたものを重要視することによって

どんどん

ゆたかさから遠のいていく

 

知識も、道徳的教義も、社会的成功も

行き過ぎれば

エゴを肥大させるだけだからだ

 

エゴが肥大すれば

「ほんとうの自分」はみえなくなる

 

ほんとうの自分は

何もしなくてもそのままで満ちている

ゆたかさの源泉

 

だけど

わたしたちは

不安をごまかすために

さまざまなエゴの武装をする

戦略的になる

 

「このままでは、不十分だ」といって

 

素朴であること

そのままであること

よけいなものをぶらさげない

後生大事に握りしめない

 

それは

「大元のいのちと一体である」ということ

「いのちにくつろぐ」ということ

 

わたしが、自分が、という意識は

大元のいのちにはないよ

ゆたかさは

いのちからしかやってこない

 

自分が、わたしが

という想いが少なくなって

ちょうどよい本来の自我に戻ったとき

 

「何かを付け加えなくてはならない」人生から

「そのままですでに充ちている」人生へとシフトする

それは

ほんとうに

楽で楽しい道だよ

 

 

かみゆりら

 

聖を絶ち智を棄つれば

民の利は百倍せん

仁を絶ち義を棄つれば

民は孝慈に復せん

功を絶ち利を棄つれば

盗賊有ること無からん

 

此の三者、以て文足らずと為す

故に属(つ)ぐ所あらしめん

素(そ)を見(あら)わし樸(ぼく)を抱け

私を少なくし欲を寡(すく)なくせよ

学を絶ち憂いを無くせよ

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)