タオ数秘術

タオ数秘術「7」の本質に還るー覚醒

ゼロポイント数秘「7」

の本質

智慧 学び ひとりあること 静寂のスペース
瞑想 
自己探求 
内省 客観性 内面のゆたかさ
求道者 覚醒

 

7のエネルギーは、マインドー思考の領域に存在します。

その本質は

思考を使って人生の体験を

内省し、学び取る、真の意味の理解です。

 

7の本質のエネルギーを生きている人は

周囲の体制に迎合せず

自らのスペースをしっかり保ち

自分自身のやり方に従います。

 

知性、機知に富んだユーモア

賢明で深い洞察力、思慮深さとして現れ

自分自身に深く根を下ろしています。

 

7の人たちが陥りがちなのが、思考に偏りすぎること

理解したいので、情報過多になりやすいのです。

思考を成長のための便利な道具として使えればよいのですが

単に寄せ集めた知識を智慧と混同し

自分はわかったつもりになってしまいます。

 

その逆は

思考が機械仕掛けのように動き続けた結果

アタマが真っ白、フリーズして思考停止してしまう状態です。

 

深く自分自身に根差すこと–真の理解や智慧は

表面的な知識とは全く逆のもの。

それを、7の人は体験することになります。

 

☆彡ライフ・パス・ナンバー(軌道の数)
(人生のテーマ、才能)

⇒ライフ・パス・ナンバーについて

 

「独りあることのゆたかさとは何か?」を問われる軌道です。

自分自身に深く根付き、マインドを超えることがテーマ。

7の人は、自分自身と深くかかわっていきます。

人と接するのが苦手

あるいは外向的すぎるという面がみられがちですが

どちらも自分自身に深く根付いていないという点では同じです。

 

7の内面に深く入っていくエネルギーは

「近寄りがたいけれど惹きつけられる」という魅力があります。

 

深堀りする質は、インテリや批評家になる傾向を生みますが

寄せ集めの知識は、本当の理解―「智慧」とは別物だということを学ぶことになります。

 

智慧を得るためには

「独りあること」が必須であるとわかるでしょう。

7の人が独りで過ごすのは

孤独だからではなく

智慧とつながり、独りあるゆたかさを理解するためです。

 

☆彡ディスティニー・ナンバー(実現の数)
(天職・社会的な表現法)

⇒デスティニー・ナンバーについて

〈ふさわしいエネルギーの使い方〉
客観性を生かす
専門分野において理解を深めていく
独り静かにできることをする
内面を深く見つめ、探究する
体験から学んだリアルな理解を教える

〈適した職業〉
教師
研究者
サイコセラピスト
作家
学者
科学者
技術指導
教授
哲学者
宗教家

☆彡ソウル・ナンバー(ハートの数)
(たましいの熱望、あらゆる行動の動機)

⇒ソウル・ナンバーについて

“内面のゆたかさに根付きたい”
“自己・真理を探究したい”
“精神性を高めたい”
“独り静寂の中にありたい”

 

☆彡パーソナル・ナンバー(人格の数)
(魅力・印象・社会とのかかわり方)

⇒パーソナル・ナンバーについて

”知的な人”
”妥協しない人”
”冷静な人”
”真理を求める人”
”専門的な人”
”客観的な視点のある人”
”孤高の人”

 

過剰の場合

思考過多

インテリ

批判的

自分の世界に閉じこもる

孤立、分離感

何かに「ついて」過剰に語る、理論的討論に没頭する

綿密すぎる計画

精神世界への強い傾倒

 

不足の場合

外向的、周囲に過剰に適応しようとする(孤独を怖れるがゆえ)

浅はかさ、愚かさ

被害妄想、恐怖

感情的、気分屋、感傷的

空想と現実の区別がつかない

スピリチュアルなものへの嫌悪

 

 

の人は

「知らなくてよい」という許可を自分自身に出し

未知の領域からハートとつながること

によって『本質に還る』という究極の癒しが起こります。

 

過剰でも不足でも7の人の根底にあるのは

「理解できないこと、無知であること」への怖れです。

ヨーガの教えでは

すべての病は、アーディ(無智)からくると言われますが

無智の反対は、知識があることではなく

体験からもたらされる「智慧」です。

 

「知らなくて大丈夫」という内側からの理解に至ることが

怖れを癒すことになります。

 

7の人は

人生を自分の思考のフィルターを通して見る

という癖があります。

「わかっている」安全領域から人生を見つめるので

新しいものが入ってきません。

 

ですが

「知らない」というスペースを自分に許すと

マインドは混乱し、理解不能に陥り

ここからハートとのコンタクトが始まるのです。

 

そうして、体験からハートで感じる

すると

そこで何が起こっているかを観る洞察力が発動されていきます。

 

体験、ハート、マインドが統合されたとき

私たちは内側から真の理解へと至ることができます。

 

感情と体験の現実にマインドの知性をもたらすこと

—それが純粋な7のエネルギーです。

 

そして、それは

「ひとりあることの静寂」の中から見出されます。

「独りある」ことは

自分自身にしっかりと根付くためには

避けて通れないことなのです。

 

「マインド」という本当の自分ではないものがつくり上げた価値観に

自分自身を合わせる必要はありません。

 

人間関係の中で

自分や相手に理解できないことがあってもOKだと知ることが大切です。

 

「理解したい、理解されたい」ということを脇に置き

ただ物事をあるがままにしておくこと

—それは大きなチャレンジでもあり、ヒーリングでもあります。

 

自分や他人の「考え」よりも

自分の「感じていること」を尊重し

あまり考えることなくシンプルに実践していくことも、役立つでしょう。

 

ある時点で、マインドは至上の存在ではないこと

「単なるコンピューターのプログラミングのようなもの」であることに氣づくでしょう。

 

ヨーガ・スートラは、『ヨーガとは、心の作用の止滅である』 という文言で始まっています。

心の作用であるマインドを超え

そのあるがままを見つめる力によって

叡智は見出されるのです。

知らないということ、未知のスペースにいるとき

私たちはあるがままの自分でいることができるのです。

思考は、至高の存在じゃない

思考に本来のはたらきをさせ

思考の主人となるとき

私たちは

自分自身のマスターとして

本来のはたらきをすることができる

 

神遊りら