さとりの中で生きる

自由な関係でいたいなら

わたしたちが

ほんとうの意味で自由でいられるのは

どんなときだろう

 

わたしは

なにものにも「依存」していないときだ

と思う

 

なにかに

誰かに依存しているとき

もたれかかっているとき

その存在が消えてしまったら

自分が維持できなくなるようなとき

 

わたしたちは自由じゃない

でも

この世の関係性のほとんどは

依存からできてる

 

もちろん

わたしたちはひとりで

何もかもできるわけじゃない

ひとりで完結できるわけじゃない

 

だから他者と補い合って生きてる

それは

相互依存かもしれない

だけど

そこに不自由さはない

支えあうことのよろこびがある

 

たとえその存在が

何らかの理由でいなくなったとしても

その存在が

自分のもとから去っていく自由を与えていれば

それは依存じゃない

たぶんね

 

誰かに依存する

ということは

その誰かを縛ることだ

そして

その縛りとおなじ力で

自分自身をも縛ることになる

 

わたしたちは

共鳴する相手と出逢う

それは

至上のよろこびだ

 

この世界で出逢えたよろこび

体験を分かち合えるよろこび

 

そして

その分かち合いのよろこびが

起こらなくなったとき

 

わたしたちは別れる

そしてまた

出逢うかもしれない

出逢わないかもしれない

 

ほんとうの関係性は

愛は

大地にしっかりと根付いた者どうしの間で起こる

 

それが

異性でも同性でも

恋愛でも友愛でも敬愛でも

 

自立した者どうしの関係は

終わりはしない

たとえ

もう二度と出逢わないとしても

 

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら