女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第60章-「そうなるようにできている」と信頼する

老子道徳経

-第60章-

 

 

大きな国を治めるには

小魚を煮るようにしてやるといい

 

ことさらにかき回したりせず

無為のタオのありかたに従っていれば

鬼のような不思議な存在も

その力を行使することがない

鬼に力がないわけじゃないけど

人を傷つけることはない

その神秘の力が人を傷つけないだけじゃなく

タオの人の政治も

人を傷つけることはない

 

だから

タオのエナジーは人びとに降り注ぐ

 

神遊りら 訳

わたしたちは

ものごとをそのままにしておけない

 

そのままにしておくことが不安で

あるいは、もっと良くしようとして

つい、手を出したくなる

 

でも、何度もつつかれ、ひっくり返された小魚は

ボロボロに身をくずされる

 

自然に煮えるのを待っていればいいのにね

 

何だってそうだ

自然の流れにまかせていれば

何もかもがスムーズにいくのに

わざわざ

ことさらな策略や作為に走る

それが賢いと思ってる

 

こざかしい作為には魔が差す

そして

本来、出来上がっていくはずだったものとは

ほど遠いものになってしまう

 

わたしたちは

「もともとそうなるはずのもの」へと

自然と向かうようになっている

ものごとは、自然に成就するようになっている

 

それをジャマするのは

さかしらな、ことさらな「知」だ

「知」が「魔」かもしれない

 

自然の成り行きを信頼する

ということは

この社会ではほんとうにむずかしくなってしまった

 

タオを信頼することは

無条件の信頼だ

何の保証もない

社会は

保証のないものを信用しない

 

でも敢えて

それをしてみないか

 

もうさんざん

こねくり回してきたんじゃないか

手を出し、こねくり回した結果

事態はほんとうに望むものになっただろうか

そうじゃないはずだ

 

自然にまかせることができれば

魔から影響を与えられることはない

悪くなるはずがないんだ

 

なぜなら

タオという自然は

あらゆるものを生み出す母だからだ

 

そこに身をゆだね

ただ安心していれば

エネルギーは勝手に降り注ぐ

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神遊りら

 

 

 

大国を治むるは

小鮮を烹(に)るが若し

 

道を以て天下に臨めば

其の鬼も神ならず

其の鬼の神ならざるに非ず

其の神も人を傷(そこなわ)ず

其の神の傷ざるにあらず

聖人も亦た人を傷わず

夫れ両(ふた)つながら相い傷わず

故に徳は交ゞ(こもごも)焉(こ)れに帰す

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)