老子道徳経
第11章
車の輪は
30本の輻が中央の轂(こしき)に集まってできている
轂の中心の何もない穴があるから
車輪としてのはたらきができる
土をこねて器がつくられる
それは中心に何もない空間があるから
器として使うことができる
戸や窓をくりぬいて部屋はつくられる
その中の何もない空間があるから
部屋として役に立つ
「なにかが有る」ということによって
わたしたちは恩恵を得ていると思ってるけど
その奥、根底の
「なにも無い」ということに支えられていることに
なかなか氣づかない

田舎暮らしをはじめて
「空間のゆたかさ」というのを心の底から実感する
自分という存在のまわりに
大きなスペースが広がっている
都会にいたころは氣づかなかったけど
今、用事があって都会に行くと
ほんとに空が狭いんだよね
人と物でひしめき合ってる
まあ、あんまり何にもないと
不安になるかもしれないけど
空間がモノで埋め尽くされてるっていうのは
ものすごく貧しいことに感じるんだよね
金持ちの家はモノが少なくて
貧乏人の家はモノであふれかえってるって
よく言われる
スペースがあるってことは
ほんとうにゆたかだと感じるよ
人間のカラダも
密な物質に見えてほとんどが空間だ
宇宙は、スペースだらけ
本来、空っぽだから機能するのかもね
有を生み出すのは無だからね
「無」の価値に氣づくといいね
かみゆりら

三十の輻(ふく)は一つの轂(こく)を共にす
其の無に当たって、車の用有り
埴(つち)を埏(う)ちて以て器を為(つく)る
其の無に当たって、器の用有り
戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以て室を為る
其の無に当たって、室の用有り
故に有の以て利を為すは
無の以て用を為せばなり
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)