さとりの中で生きる

自分探しの果てに

ごきげんよう。

今日はちょっとわたしのことを少しお話させてください。

 

あなたは今までの人生

何にいちばん情熱を傾けてきたでしょうか?

 

仕事や子育て、親の介護、、

いろいろとエネルギーを注ぐべきものはあります。

でも、そうした役割的なものではなく

あなたがやらずにはいられなかったこと。。

それは何でしょうか?

 

 

わたしはずっと、「自分探し」というものに

時間とお金と労力をかけてきました。

それが

わたしが「やらずにはいられなかったこと」です。

 

なんでそんなことをしてきたかといえば

まあ、なんというか

そのときの現実、そのときの自分自身に

違和感しか持てなかったから、、でしょうか。

現実にそこそこ満足できていれば

そんなことはあんまり考えないでしょうから。

 

このままの自分ではいけない

という信念がいつもいつも

私を動かしつづけてきました。

 

今の自分よりも

今の現実よりも

「よりよい」ものを目指し、

それを手に入れれば

自分は幸せになれると

このいまいましい違和感から解放されると

信じていたのでしょう。

 

誰に教わったわけでもない

誰かに強要されたわけでもない

でも、

「自分が何者か」

それを知り、それを生きるまで

わたしの「自分さがし」はつづきました。

 

それが、ようやく終わったのです。

自分が何ものであるか

というか、わたしだけでなく

人という存在がどんなものであるか

 

それを身をもって知り

ハラに落ちたからです。

 

そして、幸せになろうとする

その願いの強さや重さが

人をかえって不幸にすることも

 

自らの体験をもって

知ることができました。

 

より良いものを追い求めること

より良い自分を目指すこと

これは

今の世の中では

とても奨励されていることです。

 

高みをめざす

自分を磨く

称賛を得る

それは、たしかにすばらしいこと。

 

たしかに

それは満足感とよろこびを与えてくれる。

 

でも

それがほんとうの自分の望みではなかったとしたら

決して長くは続かず

またさらなる新たな喜びを得るために

何かを追い求めつづけなくてはならなくなる

 

それが楽しいうちはいいのです。

でもあるとき

どうしようもない虚しさを感じるときが来たのなら

 

満たせど満たせど

決して充ちることがなく

欲望で空虚を満たせども

その空虚が癒えないのであれば

 

そんなあり方に疲れたのなら

いちど立ち止まってみるのもよいと思うのです。

 

わたしは

自分自身が大事に抱えてきたもの

そのほとんどすべてを失って

ようやく止まることができました。

 

 

ゼロになって

ようやく

ほんとうの自分自身を見出すことができたのです。

 

わたしは、ずっとやさしい人間になりたかった。

 

なぜなら

わたしは、自分がやさしくない、と思っていたからです。

 

「おまえはやさしくない」

「わたしはこのままでは十分じゃない」

それは

まだ幼いころの

やわらかで繊細な場所に植え付けられた「条件付け」でした。

 

やさしい人であるために

愛ある人であるために

人に奉仕できる人であるために

受け容れられるために

 

どうしたらよいかなんて

誰も教えてくれなかった

 

 

だからわたしは

たくさんのマスターをたずね

たくさんのメソッドを学び

人にも自分にも認められる人となって

縁ある人たちに伝えなきゃいけない

そう思っていました。

 

それをしているとき

わたしは成長している氣がして

いい人間になっている氣がして

それに浸っていられたのです。

 

でも

そのときが過ぎると

言い知れぬ虚無感に襲われる

そんな日々が十数年つづいて

そして

夫が死に

長く飼っていたネコが死んで

息子が家を出ていって

エネルギーもお金も仕事も

プライドも

なにもかもなくなって

空っぽになってしまった。

 

もう、動けない

カスカスのひからびた状態で

ただ、そこにいるしかなかった

 

 

そして

わたしは、止まったのです。

振れ続けていた激しいふりこが、とまったのです。

 

 

もう、どこにも行かなくてもいい

何ものにもならなくていい

何も成し遂げなくていい

 

ただ、今ここの安堵

平安がわたしをただ、満たしていきました。

 

何ものにも支えてもらう必要はない

この平安は

外側のものでは決して得ることもできないし

また、奪い去ることもできない

 

 

あらゆるものが剥がれて

ようやく、わたしはひとり立てた氣がします。

 

わたしは、やさしい人間になりたかった。

愛ある人だと言われたかった。

でも、だれに言われるまでもなく

それはもう、自分の中にあった。

 

聖人君子のように上等なもんじゃないかもしれないけど

愛ややさしさは、いつもわたしを満たしていた。

上等なもんじゃなくていい

これでいい。

 

灯台下暗し。

幸せの青い鳥はすぐそばにいた。

 

ことわざや物語ではない

体験と理解という宝を得て

わたしは、旅の一幕を終えたのです。

 

人は二度死ぬと言われます。

一度目はエゴの死。

そこから、ほんとうの人生が始まります。

 

夢中になってやるもの

没頭できるものというのは

本当の自分を見出す手助けをしてくれます。

没頭しているとき、人はエゴを超えているからです。

 

エゴを超えて、ほんとうの自分を見出す冒険の後

持ち帰った智慧と体験を

残りの人生でどう生かしていくのか。

 

わたしたちは

きっと最善のシナリオのもとに

最善を演じることになるのだと思います。

 

わたしのように、激しいやり方でなくても

もっと自然な流れの中で

ほんとうの自分に氣づき

それを生きることはできますよ(笑)

怖がらないでくださいね。

 

今は、ほんとうの自分を生きる人にとって

すばらしい時代を迎えていますから!

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神遊りら