女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第37章-タオはすべてをなしとげる

老子道徳経

第37章

 

道は常に無為にして

而も為さざるは無し

 

候王若(も)し能(よ)くこれを守らば

万物は将に自ら化せんとす

化して作(おこ)らんと欲すれば

吾れ将にこれを鎮(しず)むるに

無名の樸(ぼく)を以てせんとす

 

無名の樸は、夫(そ)れ亦た将に無欲ならんとす

欲あらずして以て静かならば

天下将に自ら定まらんとす

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

何にもしていないようで

すべてを成し遂げている

それがタオのはたらきだ

 

リーダーたちがそれをわきまえてれば

すべてのことは自ずと成っていく

ことさらな手出しをせず

タオのはたらきにまかせていれば

人びとは無欲で静かになる

そうすれば

世の中は自然とおだやかになる

 

神遊りら 訳

 

 

あなたは

人を統率したり

育てるような立場にたったとき

どんな態度をとるだろう?

 

部下がミスをしないように逐一見張ったり

子どもが悪さをしないように、監視の目を光らせたりする?

あるいは、自分のパートナーにもね

規則で縛り

「こうあるべき姿」に矯正しようとしたりしてない?

 

組織のリーダーでも母親でも妻でも

ことのなりゆきを自然にまかせられる人は

相手を育むよろこびを感じられる

でも

ことさらな手出しをしないでいられない人は

不安と葛藤、怒りでいっぱいだ

 

自分がいなきゃ

すべてが回らないと思ってるかも(笑)

 

 

共にある人たち

状況のあるがままを認めれば

みんなイキイキと本領を発揮しはじめる

それが、自然のすがただからだ

 

自分が世話をしているようで

自分は何もしていない

母なるタオがすべてを為してくれている

そんな感覚が生まれてくる

 

目の前の人を自分の好みで捻じ曲げたりしないで

その本質のあるがままを喜び、たのしむ

 

こうじゃなきゃいけない

こうすべきだ、っていう想いを超えて

人や状況を自分の想いどおりにしたい、という

欲が薄くなるとね

タオの大きなはたらきと一体になる

 

すると

ちいさな自分の好みから生まれたヴィジョンを超えて

なんだかすごく

大きくて解放された現実があらわれるんだよ

 

自然にまかせ、ゆだねること

それは

自分ですべてをコントロールしようと

奮闘してきた人には

はじめ、とっても怖いことに思える

 

でもね

そのうち

自分でコントロールできることなんて

なにひとつないことに氣づく

カラダを固くして拳をにぎりしめて

必死になって守ろうとしてきたものは

やがて崩れ去る

 

それが、チャンスなんだよ

どうせコントロールなんてできやしない

 

だったら

もっと大きなものに

自分をゆだねてみればいい

そう思うんだよ

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神遊りら