老子道徳経
第35章
タオの大きなイメージを抱けば
ものごとはスムーズに運ばれていく
やすらかで、平和で、おちついている
魅力的な音楽やご馳走は
往く人の足を止めるけど
「タオ」を言葉で表現しても
淡泊でそっけないだけ
見ようとしても見えない
聴こうとしても聴こえない
でも
そのはたらきは無限大で
どれだけ使っても
尽きることがない

タオは言葉では表せない
イメージもなんとなく…しかすることができない
大きくてやわらかな何か…?
水のような…?
それがどんなものなのか
表現することはちょっと無理かな
ただ、それとともにあると
わたしたちの日常はおだやかになる
それだけは間違いない
目に見えるもの
耳に聴こえる音
味や香り
肌ざわり
それらは、さまざまな刺激をもたらす
それがどんな感じなのか
言葉で表すことはかんたんだ
五感は、心地よいものを求める
それは、とても甘美だ
言葉もイメージも、どんどん浮かんでくる
でも
タオは言葉で表そうとしても
なにがなんだかわかったもんじゃない
こんなふうだと人に伝えようと
言葉にしようとすればするほど遠ざかる
だけど
起こるできごと
日々の日常をのんびりと味わうようになると
その根底に流れている
確かな存在を感じるようになるよ
それはとても微かでこまやかだけど
とてつもなく大きい
すべてにいきわたっている
わたしたちは、そんな力に
いつも支えられている
そのイメージとともにあると
何かこの世界で起こって
ときに不安になったとしても
結局はタオに還り
その無限性にやすらぐことができるよ
かみゆりら
大象(たいしょう)を執れば、天下往(ゆ)く
往きて害あらず
安、平、大なり
楽と餌(じ)とは、過客も止まる
道の言に出だすは
淡乎(たんこ)として其れ味わい無し
これを視るも見るに足らず
これを聴くも聞くに足らず
これを用いて既(つく)すべからず
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)