女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第3章-「知」の欲望に惑わされない生き方

老子道徳経

第3章

 

アタマの良いひとは、社会に認められ重用される

そういう風潮がなくなれば

みんな

競争に過剰に熱をあげないんじゃないか

 

手に入りにくい珍しいものを

貴重だとして価値をおくけど

そうすることをやめれば

人のものを盗んだりすることも

ないんじゃないか

 

欲望を呼び起こすものを

見せないようにすれば

人びとの心は乱れないはずだ

 

あれこれ思考することなく

肚を氣で満たして

カラダをしっかりとつくっておけば

知識や欲望にとらわれなくなる

 

そうすれば

世間のアタマのいい人たちに

突っつかれても

それに反応することもない

 

ことさらなことをせず

自然な状態であれば

すべてがおだやかにうまくいくはずだ

 

 

知識を得ると

賢くエラくなったような氣になる

「自分は知っている」と思ってる

 

それとともに

エゴが膨らんでくのに氣づく

エゴは競争が大好きだから

知の競争はますます激しくなる

 

価値あるものを手に入れるため

躍起になって

あらゆる手をつくす人たちがいる

 

社会は

『特別でありたい』という

人びとの自我意識を利用する

 

わたしたちは

これさえ手にいれれば

満足感や安心感に浸れると信じて

幸福に浸れると信じて

競争にあけくれ

欲望の中で生きるように仕向けられてる

 

たとえそれが

国家レベルの話でも

近所のママ友のレベルでもおなじだ

多くのひとたちは

他人よりも優れたいと

勝ちたいと思ってる

それが生き残りの道だと信じてる

 

たくさんの知識を得て

アタマで考える人ほど

「自分は特別でありたい」という

エゴの欲望によって突き動かされがちだ

 

この情報過多の世の中で

その誘惑から逃れることは

ほんとうにむずかしい

 

けど

いちど立ち止まってみてはどうかな

 

そうすると

氣づくことがあるかもしれない

 

渇きを覚える欲望は

どこまで行っても渇いたまま

 

わたしたちのほんとうの望みじゃない

 

きっとそれは

社会によって仕向けられ、思い込まされた

偽りの願望なのかもしれない

って

 

権威あるひとたちが決めた

社会が決めた幸せが

実は

とんでもない惨めさにつながっている

ってことに

 

欲望の人生を歩むことは

この生を完全にムダにする

 

わたしたちは

ほどほどじゃない、適正じゃない

「過剰な欲望」を持つように仕向けられている

 

長い間、社会は

人々から搾取するためのシステムだった

 

だから

こうしたシステムから

どう逃れていくかを

自分自身で模索しなくちゃいけない

 

「知」の誘惑に支配されず

カラダをしっかりとつくって

必要以上に求めず

他人とも自分とも争わず

この大地にしっかりと根付く

 

そうすれば

あれこれ考えて

ことさらに事を起こそうとしなくても

すべてはおだやかに

スムーズに流れるように進んでいく

自然とそう思えるようになるよ

かみゆりら

 

 

賢を尚(たっと)ばざれば

民をして争わざらしむ

得難きの貨を貴ばざれば

民をして盗みを為さざらしむ

欲する可(ところ)を見さざれば

民の心をして乱れざらしむ

是を以て聖人の治は

其の心を虚しくして

其の腹を満たし

其の志(のぞみ)を弱くして

其の骨を強くす

常に民をして無智無欲ならしめ

夫(か)の知者として

敢えて為さざらしむ

無為を為せば

即ち治まらざるなし

(老子 金谷治氏の書き下し文より引用)