女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第24章(旧23章)-自然はおしゃべりじゃない

老子道徳経

第24章(旧23章)

 

希言は自然なり

故に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず

驟雨(しゅうう)は日を終えず

孰(た)れか此れを為す者ぞ、天地なり

天地すら尚お久しきこと能(あた)わず

而(しか)るを況(いわん)や人に於いてや

 

故に道に従事する者は、道に同じ

徳なる者は、徳に同じ

失なる者は、失に同ず

道に同ずる者には

道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ

徳に同ずる者には

徳も亦たこれを得るを楽しみ

失に同ずる者には

失も亦たこれを得るを楽しむ

 

信足らざれば

焉(すなわ)ち信ぜられざること有り

 

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

言葉少なであることは、自然だ

吹きすさぶ風は、明日の朝まではつづかない

激しい雨も、一日中はつづかない

これを為すのは天地のわざ

天地でさえ、長つづきしないのに

人ならなおさら、饒舌に話し続けることはできない

 

タオの人は、タオとひとつになろうとする

タオを信じない人は

タオを否定した世界とひとつになろうとする

 

タオとひとつになろうとするひとを

タオは喜んで受け容れる

タオを否定する世界とひとつになろうとするひとを

その世界は喜んで受け容れる

 

自然は、饒舌じゃない

言葉に誠がなければ信じてはもらえない

一体化したい世界を信じ切ること

じゃなきゃ、信じられ、受け容れられることもないだろうよ

 

大切なことを伝えたいとき

言葉の無力さを知ることが多い

 

ほんとうに伝えたいことを

言葉で伝え切ることは不可能に思える

 

絶えずしゃべっているひとは

大概、大事なものを取り逃がしている

しゃべることで、核心から遠のいていく

 

自然な沈黙

自然は、いつも静かにささやきかけている

沈黙の中にあるとき

タオはわたしを満たし

一体となっている

 

言葉は、とても便利なものだ

だけど

重きを置きすぎないほうがいい

しゃべりすぎないほうがいい

 

沈黙の中にこそ

価値ある情報がある

静寂の中にこそ

ほんとうの平安がある

 

このうるさい世界で

沈黙を守るのはとてもむずかしい

でもね

どんなに外側がさわがしくても

静けさは自分の中に常にある

 

それを一度みつけたら

どんなところにいようと

静寂とともに

平安とともにあることはできる

 

いつも、ともにありたいもの

わたしにとってはタオ

ーそれを信頼しきっていると

それは当たり前のように

わたしたちを抱いていてくれる

かみゆりら

 

希言は自然なり

故に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず

驟雨(しゅうう)は日を終えず

孰(た)れか此れを為す者ぞ、天地なり

天地すら尚お久しきこと能(あた)わず

而(しか)るを況(いわん)や人に於いてや

 

故に道に従事する者は、道に同じ

徳なる者は、徳に同じ

失なる者は、失に同ず

道に同ずる者には

道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ

徳に同ずる者には

徳も亦たこれを得るを楽しみ

失に同ずる者には

失も亦たこれを得るを楽しむ

 

信足らざれば

焉(すなわ)ち信ぜられざること有り

 

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)