女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第16章-あるべき自分に還る道

老子道徳経

第16章

 

あらゆるものが生まれ

成長していくようにみえる

でも

心を空っぽにして静けさの中にいると

それが大元に還っていくのが観える

 

草木はイキイキと成長し繁茂していくけど

それもまた

生まれ出た大元へと還っていく

 

根源に還ることは、静けさの中にあること

それは、本来の自分へと還ることだ

 

あるべき自分へと還ることが

わたしたちの常なる道

その途上にあれば、すべては自ずと明らかになる

そうでなければ

闇雲に行動して

望まない結果がもたらされるだけ

 

常なる道の途上にあれば

受け容れることができる

受け容れることができれば

公平な立場でいられる

公平な立場でいれば

自ずと人の上に立つ人となる

それは、天のはたらきであり

天とともにあれば、タオとともにある

そうすれば、その人は生涯をとおして

道を踏み外すことはない

 

わたしたちは

この世に生まれたときから

滅びへと歩を進めている

という、抗しがたい事実

 

今、どんなに生命エネルギーにあふれていても

すべては着々と死に向かって歩んでいる

 

わたしたちは

イキイキとしたものばかりに目を向けたがって

老いや滅び

「死」には目を向けたがらない

 

でも

こうして年を重ねたからこそ痛感するのは

「死」があるからこそ

「生」を存分に味わえる幸せ、だ

 

老いがあるから

死があるから

大元へ還るときがくるから

わたしたちは

「今ここ」を存分に生きようとする

 

「死」を強く感じる瞬間が

ある程度生きていれば誰にでもあるはず

 

愛しい人たちの死

自分自身がいのちを失いそうになった体験

そんな体験をとおして

「死」は、とても身近なものになる

「生」が束の間のギフトだと知る

 

わたしたちは

日々の生活の中で

人間関係の中で

自分が大事にしている価値観の「死」を味わう

古い自分が死に、新しい自分が生まれる

 

わたしたちは

瞬間ごとに死に、生まれている

 

「死んでしまいたい」

と、投げやりに言う人がいる

それは、もしかすると

自分を生きていないことへの怒り

かもしれない

 

「死にたい」は

「ほんとうの自分を生きたい」という

ものすごく強い欲求の裏返しかもしれない

 

死は、しずかだ

静けさは、わたしたちの根っこだ

その根から生まれる蒼い炎のような衝動は

わたしたちを自然な行為へと導く

 

そうした自然で中庸な

創造のプロセスにあれば

自然と物事は成されていく

 

タオとともにあれば

どんなに波乱万丈に見える人生も

生涯を通じて、くつろぎの中にあるだろう

 

かみゆりら

 

虚を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)し

万物は並び作(お)こるも

吾れは以て復(かえ)るを観る

 

夫(そ)れ物の芸芸(うんうん)たる

各々其の根(こん)に復帰す

根に帰るを静と曰い

是れを命に復ると謂う

命に復るを常と曰い

常を知るを明と曰い

常を知らざれば、盲作(もうさ)して凶なり

 

常を知れば容なり

容は乃ち公なり

公は乃ち王なり

王は乃ち天なり

天は乃ち道なり

道は乃ち久し

身を没(お)うるまで殆(あや)うからず

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)