女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第70章-独りあるゆたかさ

老子道徳経

-第70章-

 

わたしの言葉はとてもわかりやすく

行いやすいのに

大方の人びとはそれがわからないし

実行する人もいない

 

私の言葉は大元からくるもので

その行いも中心からブレることはない

でも、人々はそれを知ることができない

だから、私のこともわからない

私のことを理解する人がほとんどいないのは

私自身が貴い存在であるからだ

 

タオの人は

粗末な衣をまといながら

そのふところに宝玉を抱いているんだ

 

神遊りら 訳

 

 

孤高の人というのは

常人には理解されない

 

わたしたちは

孤独を避けたい

受け容れられ、理解してもらいたい

 

だから

理解されることと引き換えに

受け容れられることと引き換えに

自分の大切な宝を差し出していることに氣づかない

 

わたしは、ひとりが好きだ

人といるのも好きだけど

大半の時間は、ひとりでいる

 

独りは好きだ

でも

理解されないことは、やはり寂しい

 

わたしたちは

孤独を何よりも怖れている

 

独りでいる寂しさ

誰にも理解してもらえない寂しさ

それはある意味

死ぬよりも怖いことかもしれない

 

でも

誰にも理解されないとしても

自分だけは、自分に寄り添うことができる

私のことを、誰よりも理解できるのは

わたしだ

 

独りあるとき

わたしたちは、自分の源と深くつながる

タオとひとつになる

そして

大勢でいるとき以上の

深く大きな歓喜に包まれることがある

 

タオのあり方は

世俗の人たちにはウケないよ

カタチもないし

情熱的でもない

キラキラもしてない

曖昧でよくわからなくて地味だもの

 

いいんだ

まわりの人がだれひとり興味を抱かなくても

わたしは、タオとともにあり

タオを実践する

 

まわりがわたしをどう見ようといいんだ

わたしは、いつもわたしと共にあるから

 

それは

さびしい孤独ではなく

独りある孤高のゆたかさなのだから

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら

 

 

 

吾が言は甚だ知り易く

甚だ行い易きも

天下能く知るもの莫(な)く

能く行うもの莫し

 

言に宗(そう)有り、事に君有り

夫(そ)れ唯だ知ること無し

是を以て我れを知らず

我れを知る者希(まれ)なるは

則ち我れ貴し

 

是を以て聖人は

褐(かつ)を被(き)て玉を懐(いだ)く

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)