老子道徳経
第34章
タオは右にも左にも遍く行きわたり
あらゆるものを生み出しているけど
それを言葉にしない
何かを成し遂げても、自慢しない
あらゆるものを育んでいるけど
自分がしてやってるんだとは言わない
常に無欲で「小さいもの」のようだけど
すべてのものはそこに帰結する
それを自分がやったんだ、とエラそうにしない
タオの人は自分を大きくみせず
エラそうにしないから
その偉大さが際立つ

“The man who boasts of himself hasn’t,
in short, been first-rate yet.”
「いばる男の人って
要するにまだ一流でないってことなのよ」
―― Audrey Hepburn
タオは
一流、二流なんてランク付けが
全く及ばない領域なんだけど
大概、わたしたちは
功績を認めてもらいたいし
いい氣になると
つい威張ったり自慢してしまう
わたしが「すごいなあ」と感心する人は
本当に腰が低くて
謙虚で
「自分」を押し出さない
目立たないようでいて
いつの間にか大きな成果を出している
苦労を苦労とも思わなくて
いつもニコニコ楽しそうにやっている
成功しても
「運がよかった」とか
「周りに恵まれた」という
どんな功も
「自分」ではなく
タオのはたらきによるものだと
知ってる
そのはたらきは
水のように普遍的に周囲に浸透していく
何の無理もなく
自分こそが、と出っ張ることなく
大きな存在のほんの先っぽとして
出っ張りすぎず、引っ込みすぎず
ちょうどよく存在している
自分自身が小さな存在だと知っているから
大きな存在とともにあれるんだ
かみゆりら
大道は汎(はん)として
其れ左右すべし
万物はこれを恃(たの)みて生ずるも
而も辞(ことば)せず
功なるも、而も名を有(たも)たず
万物を衣養(いよう)するも
而も主と為らず
常に無欲なれば、小と名付くべし
万物焉(こ)れに帰するも
而も主と為らざれば
大と名付くべし
是を以て聖人の能く其の大を成すは
其の終(つい)に自ら大と為らざるを以て
故に能く其の大を成す
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)