数の神秘

数秘「3」-2 喜びとは、創造のあそび

「宇宙は数でできている」と言われます。

 

数秘術は、生年月日や名前から

その人に用意された人生のシナリオ

その人の持つ特性を知る手掛かりになります。

 

生年月日を一桁に分解し足した数を

ライフパスナンバー、誕生数、軌道数

などといいますが

これは、数秘術の中で最も影響力がある数と言われます。

 

たとえば、1969年12月22日生まれの人は

1+9+6+9+1+2+2+2=32

それをさらに足して、3+2=5

ライフパスナンバーは32/ということになります。

 

あらゆる数は、12,3,4,5,6,7,8,9

そして0

この10個によって成り立っています。

 

この世のすべては振動していて

その存在の状態は

振動数ー周波数によって決まっている。

 

わたしたちは周波数を見ることはできませんが

数に特有のエネルギーを知ることは

自分自身を理解することにつながります。

 

あなたにとって色濃い数の質は

才能であり、能力ですから

それを認識し、活かせば

人生はイキイキと、そしてよりスムーズに

展開していくはずです。

 

わたしたちは

すべての数に関わりながら生きています。

関係のない数は存在しません。

 

ライフパスナンバーだけに限らず

日常で目にする数

氣になる数

好きな数

関わりの深い数のエネルギーを

感じてみていただけると嬉しいです。

 

 

今回は、「3」の性質の

「よろこび」について。

 

喜びは

喜怒哀楽という感情の状態のひとつを言うのではなく

そうした対局にある感情を超えたところにある

統合された高い波動状態です。

 

よろこびは

この世界を照らす光そのもの。

人は、どんなときも

喜びなしには生きられません。

 

「よろこび」は、あらゆる縛りとは共存できない

「自由」そのもの。

 

良いものであっても

悪いものであっても

利益をもたらすものでも

不利益をもたらすものでも

わたしたちの動きを妨げるものは

「縛り」です。

 

わたしたちは

日常の中で

何ものにも縛られない選択を

どれだけできているでしょうか?

 

ただそうしたいからする、という行為を

わたしたちは忘れてしまっていないでしょうか?

 

何かを得るためにする行為

何かをごまかすためにする行為

そんなことを日常で繰り返していたら

自分がほんとうに喜びを感じることが

何なのかわからなくなってきます。

 

わたしたちは

フィーリングのままに動くことが

とても危険なことだと

教えられてきました。

 

権威のある人の言葉

過去のデータ分析

エビデンス

そういうものが信じるに値するのであって

 

「自分がどう感じているか」

「どうしたいか」なんて

当てにしてはならない

って

無意識のうちに信じ込まされてきたのかもしれません。

 

そんなふうに生きていたら

元氣はどんどんなくなっていきます。

だから今の社会は元氣がないんです。

だって、自分を信じてないってことですから。

自分を信じてないってことは

自分を愛せないってことです。

 

自分を愛するって

「よく言われるけどわからない」

「そんなの身勝手な人がいうこと」

「スピ的で氣持ちわるい」

とか言われることがあります。

他人を大切にし、愛することこそ

貴いものであって

「自己愛なんて、傲慢だ」

という人は多いです。

 

でも

自己愛のない人は

何をやっても、何を成し遂げても

どこまでいっても

虚しさしかありません。

自己愛は、身勝手さとはまったく違います。

 

他者を愛することは

自己への愛が溢れた結果です。

それは、喜びの伝播です。

 

喜びの状態にあるとき

わたしたちは、ジャッジすることなく

自分を自由に表現できます。

怖れも、罪悪感も

喜びとは共存できません。

 

後悔、不安、怖れ、怒り

喜びの光の前では

そうした暗く重たい感情は

存在できないのです。

 

自分を縛るあらゆるものから

自分自身を解き放つこと。

そうすれば

喜びの衝動にまかせて生まれる

創造力は

素直な自己表現へとつながっていきます。

 

自分自身を解き放つとは

自分自身を愛し、尊重すること

罪悪感もジャッジもなく

「その瞬間に自分が求めることを

自由にさせてやる」

ことを自分にゆるす

すると

他者が自由であることをゆるせるようになる

 

今がどんな状態であっても

あらゆる出来事は

自分をさらなるよろこびへと導くきっかけだと

自然に受け容れられるようになる

 

すると

あらゆるものが調和してはたらいていることに

氣づくかもしれない

あらゆるものの中にある

崇高な動きに氣づくかもしれない

 

わたしたちは

よろこびの中にあるとき

何をしていたとしても

崇高な存在とともに

創造のあそびをしているんです。

 

創造のあそび

それこそ

わたしたちがこの世に生きる目的なのかもしれませんね。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

かみゆりら