さとりの中で生きる

目的のない旅

なんのために生きるのか?

古来、人はずっと問いかけ続けてきました

 

人生の目的、というものはあるのでしょうか?

 

わたしは

これをするために生まれてきた!

これこそが生きがい!

そんな対象があればラッキー

 

人はそのプロセスを楽しみ

イキイキします

そして、何らかの成果が得られれば

ますますエネルギーにあふれていく

 

投げかけたエネルギーは

返報性の法則によって

必ず何らかの結果をもたらすけど

 

没頭し、楽しむというエネルギーは

今ここにいる、無心の状態

「神ってる」状態なので

その行為そのものが至福なんです

 

「結果」よりも

「今ここを楽しんでいる」こと

至福

 

だからかな

人は

夢中になれるもの

没頭できるものをさがす

 

わたしの人生の目的は??って

 

恋愛でも

子育てでも

お金でも

仕事でも

趣味でも

なんでもいい

エネルギーを注ぐものが見つかった人は

人生を充実させられるけど

みつからなかったら

人生はつまらないものになるのかな

 

わたしも今まで

いろんなことにエネルギーを注いできました

それは

とてもエキサイティングで楽しかった

至福の体験でもあったと思います

 

ただ

あの頃に戻ってみたいとか

あのときの感動をもう一度体験したいとか

そういうことは

一切思えない

 

今がいちばんいいからね

断然

今がダントツでいいから

 

過去は

はちきれんばかりの若さ

満面の笑顔

ハートが破裂しそうな恋愛

仕事の成果、報酬

幼い息子たちのあふれる笑顔

 

今思い返しても

心がガツンとジンと

手ごたえのある

あつくなる想い出はたくさんある

 

あのころの自分が今のわたしを見たら

なんてかわり映えのしない

退屈な毎日を過ごしているのか

嗤うかもしれない

 

今のわたしの過ごし方

出逢うひと

景色

できごと

 

昔の自分がみたら

単調でまったく動きがないようにみえるだろう

 

激しいものしか

みえなかったから

色濃く、刺激の強いものしか

感じられなかったから

 

もっともっと

自分自身をエキサイトさせる

「何か」

外側に探し続けていた

もっともっと

すごい自分になりたいと

「何ものか」になろうとしていた

 

でも

今は

ほとんど動きがないように見える

つまらないように見える

今ここの日常の景色

香り

触感

そして

それを超えたところにあるもの

それが

微振動でひびきあっている

さざめきあっている

 

ずっとわたしは

人生に激しさを求めてきた

 

激しさが

ふり幅の大きい人生が

おもしろさを生んでくれると

成長につながると

思い込んでいたから

 

そう、そのときは

そう思っていた

 

でも、今はそう思えない

 

日常というあたりまえの毎日のなかで

深く自分自身に根付く感覚を味わうと

もはや

この感じを

何かのために犠牲にはできなくなる

 

この静かなスペースに居続けることにしか

興味がなくなる

 

そのスペースで

わたしたちは

怒りの底にあるかなしみを

雑踏のなかにある静けさを

埃くささに覆われた真実の香りを

見出すことができる

 

ウソにまみれたこの世界の

内奥にある深い真実にであうとき

 

出逢うすべての現象の底にながれる

絶対的なあたたかさの存在を

垣間見たとき

 

ああ

存在していてよかったと

この瞬間のために存在していたのだと

歓喜する

 

目的もない

目標もない

ただ、現れてくるものの中に

タオの流れを感じている

 

すると

自然とカラダは

動きたいようにうごきだす

そういうふうに

わたしたちはできている

 

無目的に、自然に

そして

わたしたちは歓喜する

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神游りら