子育ては菩薩道

「求めない」愛の瞬間

ようこそ☆彡創造美をあそぶスペースへ

新型コロナちゃんの影響、いろいろなところで出ていますね。

私も春分の日からのモロッコツアーが中止になり
その間、大学生と高校生の息子たち二人で行く予定だったマレーシア旅行も中止。

なんか氣が抜けてしまったので
三人で急遽沖縄に行ってきました。

エメラルドの海、見事でした。

その年ごろの息子たちと旅行なんて、仲良し家族だね、、
と言われますが

そうですね、確かに仲は悪くないです。

でも、ハッキリ言って
息子たちは
私にやすらぎや心地よさをもたらす存在ではありません。

子どもはかわいいです。

でも、私にとって
長男との子育ては闘いでしたし
今もそれは続いています。

子どもは、親のシャドーを映す存在です。

表面的な人間関係においては隠せても
親密な関係においては
自分の奥深いところに抑圧されたものは
その発露を求めてきます。

子どもは、穏便にすませようとしても
真の自分自身と向き合い
和解するまで
決して許してくれません。

親の誤魔化しを暴き、
装いを剥がしてきます。
特にうちの子はね。

だからいつも
心やすらがないですよ。

私にとって
子育ては、執着と期待を落とす旅だと感じています。

母親は
自分の身を賭して子どもを愛します。

母子の愛に限らず
恋愛でも言えることでしょうが

愛しいほどに
相手の愛を欲して
与えようとする。

でも
相手の愛を得るために与えた愛の結果は
まず自分の期待どおりにはならない

見返りを期待した愛は
とても重いからです。

私は今まで
自分の欲求を後回しにして
息子たちの要求を優先させてきました。

なのに、息子たちからは
労いや感謝の言葉もない

期待を手放す、求めるのをやめる

何度も何度も心に決めて
ああ、もう手放しは終わったかなと思っても

何度も手放さざるを得ない体験がやってくる

そうか
こんな小さな期待すら
手放さなくてはならないのか

私の甘い願いはかなうことはないのだな、、

砂浜でひとり
白い砂の上に寝ころび
ただ波の音とともにあり

すると
どれくらいの時間が経ったのか

何も求めなくなる瞬間
海や砂や風と一体になる瞬間がある

ひとつになる瞬間
求めるも求められるもない

ただ在る瞬間。

他者を求めている間は
私たちは決して自由にはなれない

外側に求めている意識を
自分の内側にある灯に向けて

自分自身を満たすもの
自分自身を幸せにするものは
自らの内にある光だけ。

その光を灯しつづける。
そうすれば
その光は自ずと他者への愛となる。

自分を満たすのは
自らの内なる炎。

内なる炎を灯し続けるにはどうしたらいいの?

そうね、それは
自分を認め、自分の欲求を聞いてあげることかな。

他者からの愛は
その内なる炎の映し。現れ。

それは
得ようと努力するものではなく
内なる自分が放つ光の結果。

内なる自分とひとつになろう。

自分というこの上ない存在を
ただ、尊重して。

神遊りら