老子道徳経
-第71章-
わかっていることを知らない、とすることは
最上の智慧だ
わかってないのに知ってる、とすることは
人間の病氣だ
(自分の病氣を病氣と認めれば、病氣はなくなる)
タオの人にはそんな病はない
自分が病んでいることを知っている
だから病むこともないんだ
神遊りら 訳
わたしたちは大体
「知ってる」ことを称賛する
「知らない」ことをバカにする
自分が知ってることを声高に話す
ときには
すべてを知っているふうに話す
でもほんとうは
なんにもわかっちゃいない
何かを知ってるって主張することは
何かを全く知らないことだ
どこまでいっても
すべてを知ることなんてできない
その限界を
タオの人は知ってるのかもしれない
何度聞いた話でも
それは知らない部分がある
未知のままだ
どこまでいっても知りえない
どこまでいっても
なにひとつ確実に知ることができるものなんてない
だから
自分は至ったと思わない
知った、と思わない
わかった、なんて思わない
ずっと至らない存在のままだ
わたしたちは皆、病んでいる
知っている
至っている
そんな「成しとげ病」にかかっている
でもね
タオの人はそれをしないのだと思うよ
自分は
どこまでいっても
至らない
何も知らない存在だと認めてる
だから
そこに、病氣は存在できない
「知」の病におかされない
いつも未知の領域に身をおけば
わたしたちは常に
タオのエネルギーに充ちていられるから
あそびをせむとやうまれけん
神遊りら
知りて知らずとするは上なり
知らずして知るとするは病(へい)なり
(夫(そ)れ唯だ病を病とす、是を以て病あらず)
聖人は病あらず
その病を病とするを以て
是を以て病あらず
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)