さとりの中で生きる

手放さなくてもいいんだよ

悩んでいるひとは

その悩みを負の感情を

「手放さなきゃ」

という

 

怖れ、不安

怒り、憎しみ、哀しみ

そういった負の感情を

執着を手放さなければならない

という

 

だけど

手放したいけど手放せないのが

常よね

 

だれだって

重い感情とはおさらばしたい

軽やかに人生を歩みたい

表面意識ではそう思っても

深層ではそれを手放すことをゆるさない

何かがある

 

わたしたちは

その重さに慣れ親しみすぎてる

 

重い荷物を手放すために

わたしたちはあらゆる手をつかう

 

スピリチュアルなセッションもそう

断捨離とか

断食とか

寄付とか

 

執着を断ち切ろうと努力する

でもそれは

さらなる執着を生むことになる

執着はエゴであり

努力はエゴの仕事だから

 

手放すことへの執着は

最大の執着かもしれない

 

手放そうとすればするほど

その対象はそこに居座る

 

手放すことに

努力なんていらないはずだ

 

握りしめた拳をゆるめるのに

努力はいらないはず

 

でも

わたしたちは拳の緩め方をしらない

 

だから

怒り、哀しみ、

わたしたちを重たく縛るすべてを

振り払って消そうとする

 

その努力のエネルギーを

 

ただ

望まないものとともにあり

不快感を受け容れ

望まないものの存在をゆるす

という勇氣に向けてみたらどうだろう

 

そのとき、エゴは苦しむ

経験則にないものを

自分を不快にさせるものを

エゴは憎み、排除しようとする

 

でも、敢えてそこにいる

そこにあらしめる

 

すると

手に負えないと思っていた

怪物のような感情が

だんだんと

やわらいでいくのを感じる

 

 

そこにいてもいいんだよ

 

というと

怪物はおとなしくなる

怪物にみえていたのは

まぼろしだった

 

手放そうと努力する必要はなかったみたいだ

起こっているすべて

自分の中にあるすべてを

否定しないこと

 

好ましい、好ましくない

そういった

価値判断を脇において

ただ

その中に身をおいてみる

深く沈んでみる

 

すると

しがみついていたものは

まぼろしだったことに氣づき

手放すまでもなく

剥がれ落ちていくんだ

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら