さとりの中で生きる

コントロールをやめてみよう

生は、不測の事態の連続だ

 

ほとんどの人は不測の事態を怖れるようだ

ものごとがスムーズに進むこと

うまくいかせることを

なによりの優先事項にしているひとが大半じゃないか

 

人は、精神的打撃を避けようとする

不測の事態というのは

すごい精神的打撃だから

 

ものごとを「うまく」いかせるために

わたしたちは

あらゆることを

「コントロール」しようとする

 

自分の描く「完全性」を求めて

自分自身を、他人を、状況を

コントロールしようとする

 

でも

あるところまでは効いていたコントロールが

まったくきかなくなるときがくる

 

そうすると

わたしたちは感情を昂らせ

パニックになる

 

それは

エゴにとっては耐えられない苦痛だ

安全な場所に身を置くこと

それがエゴの生き残りの道だから

 

自力でどんなにがんばっても

コントロールできない事態

やるせない感情

 

実は

それが新しい扉なんだけど

 

あらゆるものを受け容れる

それは

起こったことを

ああ、そうかと認めると同時に

湧きおこったやるせなさを

何かや誰かのせいにすることなく

ただ、そのまま抱き留めることだ

 

エゴは

受け容れることができないから

コントロール可能な

予測可能なちいさな世界に

わたしたちを閉じ込めようとする

 

安全な場所なんてありゃしない

エゴのコントロールがきく場所なんて

どれだけ狭いものか

 

 

一瞬先は「闇」だという

この言葉を、あなたはどうとらえるか

 

「闇」を不安や恐怖に満ちた場所ととらえるか

それとも

無限の可能性の世界ととらえるか

 

生という川は流れ続けてる

進まないわけにはいかない

だから

わたしたちは常に

闇の中に足を踏み入れることになってる

 

不測の事態に出逢ったとき

ああ、こうしなきゃよかったと

後悔に苛まれるか

 

ちょっとくらい

不測の事態が起こったってOK、と

その背後にある

おおきな采配に身をまかせてみるか

 

受け容れようとするとき

そこには抵抗がある

そんなこと、できないと

なんで私が、と

エゴは抵抗する

 

でも

ちょっとふぅっとチカラをぬいて

エゴの緊張を吐き出してみる

 

そのゆるんだスペースに

受け容れてみるんだ

そうすると

広がりを感じる

 

今まで

こわくてできなかった

面倒でやらなかった

なんでこのわたしが、、

とプライドがジャマしてたけど

 

コントロールをゆるめて

不都合なものを

好ましくないものを

受け容れる

というのを、ちょっとやってみると

 

驚くんだよね

 

わたしには

こんな大きなスペースがあったのかって

 

理想や完全性、安全を維持しようとして

コントロールするためのエネルギーは

わたしたちを

とてつもなく消耗させる

 

ならば

コントロールを手放し

おおきな流れに身をまかせ

受け容れるエネルギーへと変換したらどうか

 

エゴにコントロールされた世界は死んでる

新しい風は吹いてこない

 

でも

自力のコントロールを手放し

ゆだねると

そこには

みずみずしい大きな生が待ってるんだ

 

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら