さとりの中で生きる

タオの流れとともに

水のようであれ

タオの人はいう

 

水は

最も低いところまで流れ落ち

渇いた場所にしみとおる

その質を変えぬまま

目の前の器の形に沿う

 

とても、女性的

 

果たして

今の女性たちがそうであるかは疑問だけど

 

女性が強くなった、と言われて

年月は経ったけど

 

それは

ほんとうの女性のつよさなのか

 

男性に対抗するために

勇まし氣に武装した

硬さではなかったかな

 

強くありたいと願う人は

自分の弱さを隠すために

鋼鉄の鎧をまとう

 

優位に立とうとする

その試みが

闘いを生む

そして

本来の自分と

どんどんかけ離れていく

 

男性社会の中で

女戦士として勇ましく戦ったところで

結局

男性優位の世界の中でのこと

 

女性が男性に勝ろうとする

その試みこそが

女性の立場を弱め貶めていることに

氣づいたらどうか

 

勝とうとする

優位に立とうとする

それこそが

自分が劣っているのだという概念を

自分自身に刷り込んでいるのだと

氣づいたらどうか

 

 

どちらが優れている

どちらが劣っている

 

優位性というものは

この宇宙には存在しないけれど

 

もともと

すべては母なるものから

女性性の中から生み出され

育まれる

 

女性のつよさは

そのしなやかさにある

その優雅さにある

 

表面的にどれほど蹂躙されても

心までは決して踏みにじられない

それこそが

女性の強さ

 

この数千年の男性優位の時代

女性は

表面的には弱者だった

でも

常にこの世を支えてきたのは

女性性の力

 

押さえつけられ蹂躙されても

それでもなお

根底で世界を支え続けてきたのは

女性性の力であったということを

想い出してほしいのです

 

女性性は

男性、女性をとわず

わたしたちの中に存在する

女神のエネルギー

 

それは

ずっと忘れ去られ

封印されていたけれど

一度だって

そのつながりは絶えたことはない

 

ただ

わたしたちが

その存在をわすれていただけ

呼び覚ませば

それはいつでも

わたしたちとともにある

 

タオは

ミナモト

原理

宇宙の法則

根底を流れる永遠の大河

 

その悠久の流れとともにあれば

わたしたちは

ほんとうの自分でいられる

 

ほんとうの自分を感じているとき

わたしたちは

母なるタオと一体だ

 

「ほんとうの自分」は

どこにも無理がない

 

心もカラダもゆるみ

今ここにあることに

充ち足りている

 

「至福」

 

欲望

渇望

野望

そうした

「求める」心から自由である状態

「求めない」状態

 

ただ、流れ、沿う

ただ、受け容れ、流れる

 

そんなあり方はでは

この世の中は生き残れない

ずっと教え込まれてきたけど

 

しゃにむに闘い

打ち負かし

優位にたったその先に

わたしたちが見てきたものは何だっただろうか

 

それは

「至福」と呼べるもの?

 

闘いに勝ち

多くを得てきたつもりが

それとは比較にならないほどの

大切なものを

失ってきたことに

氣づかなくてはならない

 

それは

他者との闘いだったかもしれないし

自分との闘いだったかもしれない

 

いずれにしても

わたしたちは疲れ切っている

 

何かを為すことのへの中毒に

犯されている

 

何か興奮がなければ

生きていると感じられない

 

わたしたちの飢えた心は

快楽と平穏という「楽園」を求め続け

あらゆる欲求を満たそうとする

 

わたしたちは

酒池肉林を楽園だと思ってる

 

でもね

楽園は

 

渇いたエゴでは感じられないような

ちいさなものへの慈しみ

今あるものへの感謝

それを感じられる心の中にしか

存在しないのではないか

と思うのです

 

今あるものへの感謝があふれているとき

わたしたちは

求めない

今ここに充ち足りている

 

表面的には

不足や不満はあるとしても

それを受け容れ

流れに添っていく

 

すると

母なるタオとともに

流れる

 

ほんとうの自分

もともとそうだった存在として

ただくつろいで

生という河を流れていくことができる

 

受け容れ

流れに沿う

これは

とてつもなく雄大な能力なのです

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら