女神たちのタオイズムー老子道徳経

老子道徳経-第26章-静けさの根っこ

老子道徳経

第26章

 

重きは軽きの根(こん)たり

静かなるは躁(さわ)がしきの君たり

 

是を以て君子は

終日行けども輜重(しちょう)を離れず

栄観ありも雖(いえど)も

燕処(えんしょ)して超然たり

 

奈何(いかん)ぞ、万乗の主にして

身を以て天下より軽しとせんや

軽ければ則ち本(もと)を失い

躁(さわ)がしければ則ち君を失う

 

(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用)

 

 

重いものは、軽いものの根っこ

静かな落ち着きは、さわがしい動きの主人だ

 

昔の君子は軽い車で走り回るときも

そばに重い荷物の車をしたがえていたらしい

華やかな宮殿できらびやかな生活をしていても

私的なくつろぎの場所を大事に

自分自身に根付いてる

 

そんなタオの人は

この表層世界よりも

自分自身の静けさとくつろぎを大切にする

軽薄でさわがしくなると

ほんとうに大切なものは失われてしまうんだ

 

神遊りら 訳

 

 

 

わたしたちは

生い茂る枝葉や

美しい花にばかり目をやるけど

それを成長させ、維持しているのは

根っこだ

 

人間もそう

見せかけの美しさや成功

派手できらびやかな行為

それは人を魅了するかもしれない

 

でもそれは一時的だ

とても、表面的だ

 

手折られた花が

その美しさを長くは保てないように

枝葉や花は、根っこなしには

そのいのちを持続できない

 

わたしたちは根付くことを忘れ

果てしない夢を追い求める

そして、夢やぶれてうちひしがれる

 

なぜ、うちひしがれる?

 

根付いていないからだ

 

根付いていれば

そこからうまれたこの世の夢は

すべてすばらしいものになる

たとえ

哀しみにくれようとも

自分の根っこからうまれた夢ならば

けっしてやぶれたりはしない

 

どんな夢でもみるがいい

けれど

それは自分の中心から

根っこから現れたものであるべきじゃないか

 

この幻想世界を

楽園にするのも地獄にするのも

すべては

わたしたちが

どれだけ静寂に根付いているか

それにかかっているんだ

 

あそびをせむとやうまれけん

神遊りら