さとりの中で生きる

静かな人の可能性-無為自然

「静かな人の戦略書」という本がベストセラーになっているようです

 

外向的で目立つ人が脚光を浴びる時代が

長く続いてきましたが

 

ここにきて

内向的な人のポテンシャルの高さに

光が当たってきているようです

 

数年前から

Highly Sensitive Person(HSP)

超敏感な人

というカテゴライズが

一般化しつつありますね

 

HSPは

あまりにも感じやすく

敏感すぎるため

強すぎる刺激や

社会の煩雑さに適応できなくて

辛い想いをしている人がとても多い

 

だから

自分自身の内なるスペースを

くつろぎを

なによりも最優先しなくちゃいけない

そうしないとすり減ってしまうのです

 

現代のような競争社会では

内向的な人たちは

弱虫、臆病者と

社会的不適合者のような扱いを受けることが多かったのではないでしょうか

 

かくいうわたしも高度のHSPです

この世で生きるだけでもしんどいのに

社会から非難されるのはもっとつらい

 

だから

自分の本質に背いて

敢えて社会の競争の中に身を置いて

自分を叱咤し鍛え

社会に適応しようとしてきました

 

私たちは社会的な存在ですから

そこから全く退いて

隠者のように生きることはできません

 

でも

必要以上に

社会に適合しようとしすぎて

社会に受け容れられようとして

いのちをすりへらしている人の

なんと多いことか

 

文明開花以来

日本は西欧にならい、軍国主義をすすめてきましたが

狩猟民族である西欧列強に対して

日本は農耕民族です

もともと

自分たちの平安を守ること

内向的であるのが自然です

 

農耕民族になる前の縄文時代は

「わたし」という意識さえうすく

個人と社会は一体でした

そこには

内側、外側という意識さえない

一体の意識しかなかったのかもしれない

 

自分自身が静かだと

周りの社会も静かになってきます

というか

社会の雑音が消えるわけではなく

その雑音がそれほど氣にならなくなる

 

社会に自分を適応させようとしても

自分自身はすり減るだけだけども

自分自身の本質を生きれば

社会の方から適応してくる

 

それこそが無為自然

何の無理もなく

ものごと流れるようにが成し遂げられていく

 

すべては

静かなスペースから生まれる

 

雑踏のなかでも

静かなひと、でありたいものです

 

あそびをせむとやうまれけむ

神遊りら