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わたしがいなくなった日-3

わたしがいない

 

とはいっても

「わたしがいない」と

認識している自分がいるから

ほんとうにいなくなったわけではないんだな

 

だけど

自分というのが

今まで

「自分」だと信じていたものとは

ずいぶんと乖離したものだった

 

そのことだけは

理解した

 

わたしたちは

この世で

いろいろと想いをめぐらし

行動し

体験し

それに反応して

さまざまな感情を味わっている

 

それがすべてだと思ってる

 

めにみえる物質を

実体験を感覚を

とってもとっても大事にする

それがすべてだと思ってる

 

ほとんどの人たちにとっては

当然のことかもしれないけど

 

ホントはぜんぜん

当然じゃない

本質じゃない

 

 

これは、夢のようなものなんだな

 

大海の波が

そのときどき

瞬間的にカタチを変えるように

わたしたちは

トキを超えて

さまざまな生を型取ってきた

そのときどきで

あらゆる演目を演じて

 

ほんの刹那ー瞬間の生

それを幾度となく繰り返してきた

 

そしてその生の数々は

繰り返すほどに

それほど変わり映えしないもので

そろそろもう

いいかげんにしないとな

という氣になってきた

 

あるときは

何万の兵を率いる将軍だった

あるときは

死ぬまで労役を強いられる奴隷だった

あるときは

悟りを目指してヒマラヤにこもる聖者だったし

あるときは

享楽におぼれる娼婦でもあった

あるときは

知性ゆたかな宰相だったし

あるときは

氣狂い、白痴だった

 

魔女狩りで駆られた

錬金術師でもあったし

魔女狩りを推し進めた

教会指導者でもあった

王、皇女、巫女、職人、農夫、乞食、、、

 

わたしたちはずっと眠りこけながら

あらゆる役割を演じ続けてきた

 

ただ、夢から覚めるために

今度こそ、醒めていようと

試みてきた

 

もう、ずいぶんと永いこと

氣がとおくなるほどに、、、

 

 

あなたももう

いいかげん

飽きてきたのではないですか?

 

無限に続くこの輪廻の夢

「自分」に入り込みすぎて

この寸劇の役に

没頭しすぎて

深刻になりすぎて

小さく小さく固まってしまった

 

カチコチの氷のような「自分」

 

いつしか大河の一滴は

孤立した氷になってしまった

 

もはや

大河とともに流れられなくなった

 

あたたかな大河の水は

いつでもいつでも

私たちの中に流れ込みたがっている

 

でも

あなたはかたくなに拒否する

 

あたたかなタオのエナジーが

流れ込み

氷が溶けだしたら

わたしはわたしでなくなってしまう

 

放っておいて

わたしはわたしでいたいのだ…!

 

 

 

氷のようにつめたく

固まってしまった

大河の一滴よ

 

 

寂しくはないかい

 

 

たくさんの人たちが

あなたのまわりにいるかもしれない

あるいは

あなたを氣にかけてくれるひとなど

ただのひとりもいないかもしれない

 

あなたは裕福かい

それとも貧乏かい

 

美人といわれるかい

それともブサイクだといわれるかい

 

器用でデキがいい人かい

それとも何をやっても下手くそかい

 

この世の人はそんなことばっかり

氣にするけど

 

 

そんなことはどうだっていいんだ

 

 

母なるタオの流れと一体なら

 

独りを楽しむことができる

貧しさの中のゆたかさを知る

ブサイクな顔のユニークさを知る

下手くそなりに生きる悦びを知る

 

母なるタオと断絶されていたら

どれだけの恵みに囲まれていても

孤独でしかない

どんな恵みにも

氣づけやしないからだ

 

母なるタオとともにあれば

人とともにありたいときは共にいて

ひとりでありたいときは独りでいられる

 

それは

自然とそうなる

無為自然、というやつだ

 

あなたがありたいように

世界はつくられていく

 

「自分自身」だと思い込んでいるのは

「自我」ーエゴ

 

エゴは

もともとはこの世に姿を現すための道具だった

 

それがいつしか

エゴが自分自身だと信じ込んでしまった

 

カラダ=自分になってしまった

思考=自分になってしまった

役柄=自分になってしまった

 

ちがうんだよ

 

カラダ

思考

この世での役柄

 

それらはすべて道具でしかない

 

たったひとつの目的に至るために

わたしたちに与えられた

便利な道具

 

それは自分じゃない

 

わたしたちは

その使い方を完全に誤っている

それに翻弄されている

 

そのカラダを

その思考を

その役柄としての個を

根本から動かしている存在

 

それが

ほんとうの自分なんだ

 

呼び方はなんでもいい

わたしは「タオ」という響きが好きだからそう呼ぶ

 

この生の残りの時間

その存在にいだかれて

そのエネルギーに満たされて

あるがままを生きてみよう

 

そう決めているのです

 

あそびをせむとやうまれけん

 

神遊りら